逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

愛着障害のカウンセリングの経過⑥ーこれまでの怒りを一手に受けるー


愛着障害の人は

 

自分でもよくわからない大きな怒りを
心の中に溜め込んでいます。

 


愛着障害の人は

 

人生のほとんどで
正当な怒りを持てずにきています。

 

 

 

「自分は人を苛立たせてしまう人間」

 

「自分がいけない」

 

「自分はひどい扱いを受けて当然」

 


どれだけ理不尽な場面でも
こうやって自分を納得させてきました。

 

 

 

時間が経ってから怒りが湧いてくることもあります。

 

でも過ぎ去ってしまってからだと
相手に怒りを表明することは出来ません。

 

出来たとしても
後から過ぎた話を持ち出すのはとても難しいことです。

 


もしその場で
心の中では、ちゃんと怒りを持つことが出来ていたとしても
怖くて少しも表に出すことができません。

 

 

 

愛着障害の人は
親との理不尽な関係を当然とされてきたため

 

他の人間関係でも理不尽な目に遭いやすい。

 


<愛着障害の人は空気を読みすぎる>

 

<愛着障害の人が人の気持ちばかりを考えすぎてしまう理由>

 


それなのに
正当な怒りを持てないなんて
どれだけ心に負担がかかることでしょう。

 


愛着障害の人は

 

こんなふうに
自分ではどうしようもなく心の中に怒りを溜め込んでしまうせいで

 


境界性人格障害を発症させたり

 

虐待やDVやハラスメントのように弱いものに矛先が向かったり

 

自分に怒りの矛先を向けて鬱を発症させたりしてしまうんですね。

 

 

 

しかし
カウンセリングが進んで自尊心が上がり
自分の価値に気づき
勇気が出てくると

 

これまで
怒りを感じられなかった場面で怒りを感じるようになります。

 


そうすると
過去の出来事への怒りがどんどん湧いてきます。

 

 

 

それまでずっと
過去の出来事は

 

弱くて非力な自分が誰も悪くないけど被害にあってきて
自分が可哀想という気持ちで語られてきました。

 


それが

 

「なぜ自分がこんな目に遭わなければいけなかったのか」

 

「相手が許せない」

 

「十分にやってきた。自分は悪くない」

 


しっかりと

 

自分を守り、相手への正当な怒りを持てるようになってきます。

 

 

 

この時期もまた苦しい時期です。

 


怒りを持つのは気力体力を消耗します。

 

いつも怒りに囚われ、いつも気分は最悪です。

 

怒りを持つ人間を嫌悪してきたので
怒りを持っている自分を好きになれません。

 

 

 

この時期も

 

「怒るのが当然なんだ」

 

「あなたは悪くなかった」

 

「酷い目にあってきたのによくここまで頑張ってきた」

 


と私が支えていきます。

 

 

 

<愛着障害のカウンセリングの経過②ーダメな自分を見守るー>

 

<愛着障害のカウンセリングの経過③ー子どもに返るー>

 

<愛着障害のカウンセリングの経過④ーカウンセリングの約束事ー>

 

 


「悪くなった」と思い

カウンセリングに対して不信を持つことは
これまでも何度もありました。

 

それよりもさらに

怒りっぽくなることが一番悪くなったと感じやすく
カウンセリングや私に対して、不信を持ちやすい時期です。

 

 

 

怒りを持ち続けることは

とてもつらく、色んなことが嫌になってしまいますが

 

過去の出来事に

正当な怒りを持ち、正当に怒りを吐き出すという経験は
愛着障害の回復には絶対に必要なことです。

 


この経験によって

 
怒りを持てなかったせいで理不尽な目に遭い
怒りを抱えてしまうことを繰り返してきた愛着障害の人は

 

それをやめることができるんです。

 

 


いつでも

罪悪感を持たずに正当な怒りを持ち、表明出来るようになり

 

心の中に得体の知れない大きな怒りを溜め込まないようになります。

 

 

 


他の理由でも
私に対して怒りが大きくなりやすい時期です。

 


過去の理不尽な目に遭わせた人達に怒りが大きくなっています。

 

大きな感情によって
一時的に頭が回らなくなります。

 


そうすると

 

過去のその人たちにほんの少しでも似た
表情やふるまい、使う言葉や言い回しに怒りを持つようになります。

 

 

 

誰でも、怒りの矛先を色んなところに向けてしまう時期です。

 


この時の私に対する怒りのほとんどは
過去の誰かに対するものです。

 


私に対する怒りを聞くことによって

 

自分でも忘れていた
理不尽な経験、誰かに怒りを大きく持った場面を思い出すきっかけになります。

 

 

 

また

 

人は誰でも
大なり小なり

 

自分の怒りを
本人ではない所で解消してしまっているんです。

 


八つ当たりですね。

 

どんなに気をつけても
気がつかないうちに誰でもほんの少しはしているんです。

 


理不尽な目にあった日に

いつもより強めに怒ってしまったり
いつも流せることが流せなかったり
不機嫌になってしまったりするようなことですね。

 

 

 

愛着障害のカウンセリングでは

 

どんなに理不尽な目に遭っても
誰にも怒りをぶつけられなかったクライエントさんが

 

はじめて八つ当たりをする経験を積まなければなりません。

 


誰でもしていることなのに

 

あまりに正しく自分を律していたせいで
心優しすぎたせいで

 

上手く出来ずに抱えて心に問題を抱えてしまったんですね。

 

 

 

正しいことだけをしたい。
絶対に間違いたくない。

 

そう思うと
誰にもぶつけられません。

 


そのせいで
怒りを大きくして
最終的に大きくなったものを人にぶつけてしまいます。

 

残念ですが本末転倒ですよね。

 


成長過程で八つ当たりをして失敗する経験は誰にでも必要で
そんな自分に気づいて認めて謝ることができるようになることが
大人への成長に繋がるんです。

 


余裕が無い時
ほんの少し甘えて八つ当たりをしてしまう。

 

そして
それを認めて謝って受け止めてくれたことに感謝する。

 


この流れを自分の中に持てるようになると
大きく溜め込んでぶつけることをしなくて済むようになります。

 

 

 

愛着障害のカウンセリングが難しいのは

 

これまでの怒り
新たに生まれる大きな怒りを一手に受けることだと思います。

 


クライエントさんの成長過程で
当然起こることで避けられないんですよね。

 


本気で大きな感情を出してそれを受け止め続けるという
平和では無い空気の連続で

 

クライエントさんもカウンセラーも戦いだと思うんです。

 

あたたかい受容だけでは終わりません。

 


ですから
愛着障害のカウンセラーは相当な強さが必要なんだと私は思っています。

 

 

 

愛着障害の回復は、どこなのでしょうか。 


愛着障害が回復したという人のほとんどが
怒りをまだ解消できていないように感じています。

 


自分だけが悪いと思っていたけれど
親が悪かったと思えるようになった

 

これも愛着障害の人にとってはとても大事な回復過程ですが
これを回復としてしまったら

愛着障害の人は楽になりきれないと思うんです。

 


愛着障害の回復と呼べるのは

 

親代わりの誰かに怒りをぶつける経験をして受け止められる経験を経て
怒りが解消されてからだと私は思っています。

 

 

 

 

 

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