逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

私の平成を振り返る

とうとう新元号が決まりましたねー

 

 

 

発表の時

 

私はちょうど休みだったので
テレビの前で手に汗を握り、会見を見つめてました。

 


管官房長官が普段の様子と全然違う。

 

いつもあれだけ人の注目を集める場所で堂々とリラックスしていた人が

 

新元号発表の時は
表情も固く、口もうまくまわらない感じになってる。

 

見ている私も緊張しちゃったよ。

 


『令和』

 

聞いた時

 


嫌だー!と思ってしまった。

 

みんなはどんなふうに思ったんだろう。

 

 

 

私は学生時代からはみ出し者で
「ルールなんてくそ食らえ」なんてタイプの人間だった。

 


令の字は

 

法令、指令、司令・・・
なんかこう縛られるようなイメージしか無くて

 

ルールと和の共存なんてそんなことあり得ない
和を命じるってことか?

 

なんて勝手に想像をどんどんと進めて
むっつりとしていた。

 


でもそんな意味じゃ無いらしい。

 


万葉集から引用されただけで
令には美しいという意味があるとか。

 

えー
ほんと?

 

なんてな。

 

 

 

平成の時も
慣れるまでは、ものすごく抵抗があるのに
いつのまにか馴染んでいった。

 

馴染んでくんだろうな。令和。

 


令和!令和!

 

連呼したら早く馴染むかと思って連呼してみた。

 

 

 


平成が今月で終わるなんて信じられない。

 


言葉では平成最後の・・・なんて良く言っていたのに
あんまり実感はしてなかったんだな。

 


なんだかノスタルジックな気持ちにもなる。

 

 

 

平成を超個人的に振り返ってみようかな。

 

 

 

みなさんは
平成を振り返るとどんな気持ちになるんだろう。

 


30年もあるから
若者は平成しか記憶に無いから自分の人生全てになるか。

 

若者じゃなくても
30年って振り返るには長すぎるね。

 

 

 

私は14歳の時に平成元年かな。

 


よく
昭和時代は良かったなぁなんて
過去を振り返っていたけど

 

私が振り返っていた高校、大学1年の頃の光景は
平成だったわ。

 


平成も最初の頃は
昭和のにおいがガッツリ残っていたような気がするんだよ。

 


昭和のにおい・・・

 


昔ながらの義理人情があるような
便利ばっかりを最優先にしないような
愛らしいダサさが残っていたような
ハングリー精神があるような・・・?

 


私はすごく好きな感じだった。

 

 

 

平成は

 


義理人情より理屈

 

色んなものが新しくて洗練されていて
みんな要領が良くスマート

 


とにかく変革変革で
新しいことに抵抗せずとにかく受け入れていかなければ
ついていけない空気だった。

 


私にとっては
あんまり好きな時代ではなかった。

 

 

 

とにかく
マイペースでいられない感じ。

 


周囲の空気が
「新しいものについてこられない人は無能」という感じの同調圧力で

 

自分の意思で取捨選択するのが難しい。

 

 

 

古いものにうんざりしてから新しいものを求めるとか

 

先に自分が欲しいという気持ちを持って強く求めるとか

 

なかなか手に入らない悔しい思いを抱えて
長い時間苦労を重ねて手に入れようとし続けるとか

 

そんな暇は無い。

 


あっという間に世の中は進んでいってしまって
自分の気持ちを育てる暇がないまま
豊かさに慣れてしまうのがつらかった。

 

 

 

私の人生とともに平成を振り返ってみると

 

平成って
私が私を取り戻すまで頑張り続けた時代だった。

 

30年ね。長いな。

 

 

 

自叙伝を読んでくれている人はご存じ

 

私の人生、パンチが効いてる。

 

 

 

自叙伝をささっとダイジェストで書いてみよう。

 

 

 

養護施設から引き取られ

 

小学生、中学生の頃は
発達障害や愛着障害のある自分と周囲との大きな違いに戸惑い
親の虐待や監視がひどく疲弊して

 

自分ではどうしようもなくて
狭い世界でじっと耐え続けてた。

 

 

 

高校生からの人生も
それまでの人生と同じか、それ以上に過酷だったけれど

 

自分の意思を持って、自分の人生を変えようとしだして

少しだけ自由を手に入れて力を取り戻せた。


少しずつ前に進むことが出来たのはこの時期から。

 

 

 


高校生の時

 

養護施設出身で
あらゆる虐待の経験者で
愛着障害と発達障害のある
どこにいても浮いてしまう変人の私から

 

普通の高校生になりきって

勉強をして部活をして恋をして友情を深めて…
普通の高校生のような経験ができた。

 

 

 

大学生の時

 

真面目で面白くない私、正しいことにこだわる私
大勢の中で馴染めない私が

 

普通の大学生になりきって
30人のサークルでリーダーとして活動して
普通のバカな大学生として過ごした。

 


人間不信で人を疑い
自分をさらけ出せずにカッコつけてばかりで
人と距離をおいていた私が

 

大勢の仲間と本当に長い時間一緒に過ごしてバカなことをして
恋人と家族同然の付き合いをして自分をさらけ出すことができた。

 

私にとっては絶対に叶うはずのないことを叶えた。

 

 

 

虐待、監視する親から逃げて
はじめて本当の自由を手に入れた。

 

精神的にはいつか見つかる、殺されると思っていたから
完全に自由ではなかったけれど

 

逃げたときの自由は言葉にできない。

 

監禁同然の経験をした人でなければ
この自由を手に入れた感動はきっとわからないかな。

 

 

 


恋人と家族同然の付き合いをして
ボーダーが発症して大混乱。

 


ボーダーを発症しながらも

 

猛烈にアルバイトをしたり
塾講師や家庭教師をして

 

なんとなく自分はこの先も生きていけるんじゃないかと
少し自信をもった。

 

 

 


その後は
恋人と別れ、大学の仲間は卒業していなくなり

転がるように全てを失った。

 

家族も親戚もいない

ボーダーで人間関係を切り

完全に人間関係がゼロで孤独だった。

 

私が死んでも誰も気づかない

誰も悲しまない

そう思っては絶望していた。

 

話ができる人も、頼れる人も1人もいない。

本当に1人だった。

 

 


家出したせいで

身寄りもなく住所不定で就職もうまくいかず

家を借りることもできなかった。

 

 

男性嫌い、親にやらされたトラウマなどで
絶対にやりたくなかった

ホステスで生計を立てることになった。

 

 

生真面目で教師になりたかった

数学の話をするのが大好きだった

サークルでリーダーをしていた

女として扱われることに耐えられなかった

 

そんな私がホステスを本業にするのは本当に苦しいことだった。

 

住むところがなくて
お金も無くて
毎日綱渡りのような人生。

 


キャバクラで出会った人に泊めてもらったり
寮つきのキャバクラを探したり
心の状態が悪くて続かなくて毎日新しい店に面接に行って
日払いで生活していた。

 


出会った人すべての人に頭を下げてすがって
情けなくて悔しくてもそれしかできなくて
いつもギリギリで窮地を脱して
なんとか生きてた。

 

 

 

依存症に振り回され
依存のためだけに時間を浪費していく。

 

そんな全くダメな自分を隠しながら
必死に全うな人間のふりをしながら生きる。

 

この沢山のやましい自分を抱えて隠し通すのが
いつも気を張っているのが
いつも依存の事以外なんにも考えられないのが
本当にきつかった。

 

 

 

心の状態が少し落ち着いた25歳の頃

 

長く働いた場末のキャバクラでは
真面目で変人、ブス、年増・・・同僚や客からそんな扱いを受けながらも

 

持ち前の明るさやユーモア、気遣い、賢さで
ナンバー2をキープ(ナンバー1にはなれない)

 


金銭的には余裕ができても

 

自分の居場所はここじゃない。
いつまでも、こんな人たちにバカにされ続けていたくない。
このままじゃいけないと悩みつづけ
色々と挑戦しようとするが動く勇気が出ない。

 

 

 

女性の恋人が出来て
性に混乱していた自分が解放され

 

自分をとことん尊敬してくれる
自分の世話もやいてくれる恋人のおかげで

 

ずっと馬鹿にされ続けていた自尊心が回復し
自分の力を感じるようになり

 

どんどん本来の自分が戻ってくる。

 

 

 

今までの人生で私が出来る事なんて
人の話を聞くこと、人と会話をすることしかないと気づく。

 


心理カウンセラーの学校に半年通い
民間の資格を取得しカウンセラーの仕事を始める。

 

他のカウンセリングでは治らなかったというクライエントが
何故かどんどんすごいスピードで回復していく事実を前に
カウンセリングは自分の天職だと気づく。

 

自分のこれまでの経験から
多くのカウンセラーが苦手とする人格障害の人の専門家になりたいと思う。

 


もっとしっかり勉強すべきだ、資格をとって認められたいと思い
33歳で大学に入学し、大学院に進み、臨床心理士になる・・・

 


そして開業して3年

 

夢が叶い

 

専門家とまではいかないけれど
人格障害や依存症に苦しんでいる

他のカウンセリングでは無理だったという難しい人を治している。

 


まだ金銭的に余裕はないけれど
自分がやりたいことをやって何とか生活できるまでになった。

 

 

 

ざっとね。

 

ざっと書いてみたけどめまぐるしいね。

 

 

 

平成の30年間をかけて

 

私は逆境から立ち上がったんだと思う。

 


このブログのタイトルね。

 


30年も時間をかけて
残念だけどやっと人並みになった。

 


だから今からかな。

 

人並みにゆっくりと楽に生きていいのは。

 


自分も楽しむということを学びながら
人生を作っていけるのは。

 


令和から
私の本当の人生がはじまるのかも。

 

ドキドキわくわくしてるんだ。

 

 

 

 

 

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