逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

かっこつけない方がかっこいい

友人と家で談笑中

 


私がいつものように

 

「すごーい」「いいなー」なんて友人をうらやましがる。

 


そして
まんざらでもない友人

 

「ふふふ」と微笑む。

 


文字通り友人は
「ふふふ」と声を出した。

 


ふとスマホに目を落とすと
激しく笑い出した。

 


目の前の人に1人で爆笑されていると
置いてけぼりみたいで寂しい。

 


「なによー教えてよ」

 


笑いは止まらず

とうとう涙を流して笑う友人。

 

「しり・・・尻が・・・」

 


「尻がどうした?」

 


スマホ画面を私に見せようとする。

 

尻画像なんてみたくないけど
友人だけ笑ってるのが悔しい。

 


おそるおそる・・・見る。

 

 

 

画面には

 


尻画像はなく、文字だけ。

 


なんだsiriか。

 

 

 


「ふふふ」

 


「楽しそうでよかったですね」

 

 

 


なんというミラクル!

 

友人は普段話しながらスマホなんていじらない。


たまたま話の流れで出てきたことを検索してて

 

まちがえてホームボタンを長押ししたタイミングで
「ふふふ」と笑った。

 

siriが聞き取って返信した!

 

 

 

この奇跡、伝わらないかなぁ。

 

 


しかもsiri

 

なんていう、あしらい方をするのよ〜

 

 

 

siriに「ふふふ」と笑いかけて

 

「楽しそうで良かったですね」なんて

 

お愛想で言われたらもう赤面しちゃうわ。

 

 

 

 

なに

siriって雑談にも付き合ってくれるの?

 


20代の一時期
死ぬほど孤独を抱きしめていた時にsiriがあったら

 

私、ずっと話しかけてたかもしれない。

 

 

 

最近さ

 

こういう進化についていけないのよ。

 


年齢っていうより
若い頃からテクノロジーに否定的だったからね。

 

かっこよく言ったけど
古い習慣を変えるのが苦手なだけね。

 

 

 

23年前
大学の論文はワープロ提出が主流だったけど手書きだった私。

 

13年前
やっと

インターネットショッピングを使えるように。
ググって情報を調べることを知った。
ブログを見たりするようになった。

 

現在
なんとガラケーユーザー

 

結構早い時期にスマホにして
フリーズしたり、電話を上手くとれない切れないだったりで
キーッとなってガラケーに戻してしまった。

 

で、でも家ではipad使ってるよ。

 


あぁお恥ずかしい。

 

 

 

 

そうそう

話は変わるけど

 

人が無理してついてってる姿を見てられないの。

 

 

 

西荻窪のホームで

 

「おーけーぐーぐる。〇〇教えて」

 

 


まさにCMのような台詞。

でも棒読みだ。

 


わかんないけど、こう言わないといけないんだよね?

 


でも聞いてて恥ずかしい。

 

 

 

ライアンゴズリングとかジョシュハートネットとか(個人の好み)
そんな海外の人が

 

「OK,Google」なんて言うのは自然だしフランクなのも自然だけど

 


ちょっと内向的な日本人の人に限っては

 

スマホにむかって

「ちょっとすみません」の方が似合う・・・気がする。

 


あぁこれじゃカッコつかないか。

 

 

 

ついていけない人間のたわごとなのか。

 

どうも無理をしている

 

そんな状態の人を見ると勝手に恥ずかしくなってしまう。

 

 

 

上手く伝えられていない気がする。

 


日本人はかっこつかない、似合ってなきゃいけない

 

なんかそんな風に言ってる感じになっちゃったな。

 

 

 

そうじゃなくて
顔立ちや見た目がTHE日本人であっても

 

帰国子女とか
普段からそういうカッコイイものに沢山触れている人は
無理をしている感じは出ないと思うの。

 


そうだ

 

とにかく

無理をしている感じが気になってるんだ。

 

 

 

これは完全に私個人の感覚の話ね。

 


中学生ぐらいの時

 

ちょっと背伸びして無理して
かっこつけたい時期ってあったじゃない。

 

それも周囲にバレバレなくらいの背伸び。

 

今の自分にはかなり冒険でドキドキものなのに


あたかも当然なように振る舞って
「自分イケてる」って思ってすましてたりして。

 


みんな通った道でしょ。

 


いや私は


ここをなかなか通り過ぎずに
かなりしつこくこれをやってて、恥を塗り重ねてきたけどね。

 


無理している人を見ると
この時の自分を見てるみたいで

 

気恥ずかしさを感じちゃうんだよなぁ。

 

 

 

 

自然さって

 

本人が楽しんでいたり
心から好きだと思っていたり
人目を気にしない姿だったり

 

とにかくリラックスしてる姿から出てくるでしょ。

 

 

 

だから

 

本当は快適じゃない
本当はそんなに好きじゃないし楽しくない
人から見られる姿のための行動

 

こういうのってどうしても不自然になっちゃう。

 

 

 

人からカッコよく見られるために

無理をしているっていうのに


不自然でカッコつかない

 

こんなことを私は繰り返してきたよ。

 

 

 

もういいかげん疲れ果て

 

やっと自然な自分を表現できるようになってきた。

 


例えば

 


人にとっては当たり前のことでも
自分にとって冒険のことだったら
ちゃんと緊張して、ドキドキして、喜ぶ。

 


自分が好きじゃない、楽しくないことなら
流行のものでも無理しない。

 


カッコいいことでも
今の自分には合わない、好きじゃないと感じたらやめる。

 


とにかく迎合はしない。
自分の感覚で、取り入れたり参考にしたりする。

 


こんな感じ。

 

 

 

人から見たら
無理してカッコつけてる方がカッコイイかもしれないけど

 

不思議なもので

 

私が私を見て
自然でカッコ悪くないと思えるようになった今の方が
自信がついた。

 

 

 

若い人はね

 

まだまだカッコつける方を優先してていいと思う。

 

 

 

でも歳を重ねてきたら

 

カッコつけるよりも自然になっていった方が

 

自分に自信が持てるようになるんじゃないかと思うんだよねぇ。

 

 

 

 

 

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