逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

迷惑をかけていない人なんていない

ゴミの日の朝はいつも憂鬱だ。

 


燃えるゴミの日や資源ゴミの日はまだいい。

 

燃えないゴミの日は
いつも何とも言えない気持ちになる。

 

 

 

「この資源として利用することのできない
 私が出した燃えないゴミが
 地球のどこかに埋め立てられ
 どんどん埋めるスペースがなくなって飽和していく」

 

「私は環境破壊をしまくってる、なんて迷惑な人間・・・」

 


もう、そんな思いが止まらない。

 


環境保護について全くちゃんと勉強をしてない。
知ろうとしてない。

 

熱い思いがあるわけじゃない。

 

ゴミをちゃんと分別するぐらいしかやってない。

 

 

 

自分がしたい生活をするために

 

自分が楽に円滑に生活をするために

 

環境保護を後回しにしていることを
いつも分かってるのに見て見ぬふりをしてる。

 


そうやって逃げようとしているからこそ
こんな気持ちになるのかもしれない。

 

 

 

私は掃除とかメンテナンスとか
物を綺麗に丁寧に使うことがとても苦手だったから
こんなふうにしていた。

 


1000円ぐらいの安いフライパンを買って
汚れが落ちなくなったら2,3年で買い換えればいい

 

3000円ぐらいの安い加湿器を買って
カルキが溜まったら買い換えればいい

 

高いのを買って長く使うのと同じぐらいだ

 

 

 

100均でとりあえずいいと思ったら買ってから考える

 

陶器やガラスのものを可愛い、安いと大量買い

 

でも結局
高くて丁寧に作られたものに出会って、それに惚れ込んで
いらなくなった100均のものを100円だったしと大量に捨てる

 

 

 

欲しいと思ったら衝動的に買って
飽きて新しいものに魅力を感じたら買い換えれば良い

 

欲しいものは欲しい。いらないものはいらない。
我慢したくない。

 

簡単に買って捨てて、なんでもリニューアルすればいい。

 

 

 

自分が欲しいと思ったら我慢しない。いらないと思ったら捨てたらいい。
誰にも迷惑かけていない。

 

 

 

・・・あぁなんて自分本位だったんだろう。

 


大量の燃えないゴミを出しているじゃない

 

私は迷惑をかけている

 

 

 

ずっと
表面的な部分だけ見て

 

「私は迷惑をかけていない!自由だ!」なんて思っていた私。

 


色々と迷惑をかけている自分に気づけるようになって
少しずつ変わってきた。

 


ガラスや陶器は可愛いと思っても安いからってすぐ買わない。
惚れ込んで、壊れるまで捨てないって思えるものを高くても買って何年も使う。

 

高かったお鍋も14年、大事に使ってる。

 

欲しいものを
金銭的に買えるか買えないかじゃなくて
大事に出来るか出来ないかで買うようになった。

 

 

 


私はずいぶんと迷惑をかけながら
世話になりながら生きているんだよなぁ。

 

 

 

天候が悪い中、寒い中、暑い中
ニオイに耐えながらゴミを収集している人を見ると
すみません、ありがとうと思う。

 


もっともっとあるよね

 

見えないところで誰かの労力に支えられて
私は快適な生活を送ることが出来てる。

 

 

 

なんだか綺麗事のようだけど

 

いやいや、これが現実だと思う。

 

 

 


私の仕事は

 

「人を助けている」「誰にも出来ないこと」「すばらしい仕事」
「その思いに頭が下がる」「偉いなぁ」

 

そんなふうに言ってもらえることが多い。

 


仕事柄
大変な思い、苦しい思いをすることが多いから
やっぱり言われると嬉しいと思っちゃうんだけど

 

本当は
私は、自分がやれることを必死にやっているだけで
見えないところで人を支える仕事をしている人達と変わらないんだよね。

 


沢山の迷惑をかけながら
自分勝手に日々の生活を便利に過ごして

日々の仕事を滞りなくやれているだけで

 

私は別に偉くもなんともないんだよね。

 

 

 

最近よく思うこと。

 


「迷惑をかけるな」って日本ではよく言われているよね。

 


「できるなら迷惑をかけたくない」って気持ちを持つことは

 

とてもすばらしいことだと思う。

 


その気持ちが

 

自分の力を奮い立たせて
人の力を当たり前にせずに感謝できることに繋がると思うから。

 


だけど今

 

「絶対に迷惑をかけたくない」ってみんな思ってしまっていて

 

そのために

 


「人と関わりを減らす」

 

「迷惑をかけないよう気を張り続ける」

 

「迷惑をかけたら自分は価値が無いと打ちひしがれる」

 

「迷惑をかけているであろうところは見ない」

 

「迷惑をかけているのではなく権利を行使しているからと堂々とする」

 

 

 

こんなふうに

 

自分の力も人の力も無くす方向に行ってしまってる。

 

 

 

完全に誰にも迷惑をかけていない人なんて
いないんじゃないかな。

 


だから
「絶対に迷惑をかけない」なんて躍起になって生きても

 

無理をして現実を曲げてつらくなるだけ。

 

 

 

「できるなら迷惑をかけたくない」けど

 

「迷惑をかけてしまったら認めよう」でいいんじゃないかな。

 

 

 

いつも今自分にやれることをやろうとしてみて

 

それでも迷惑をかけてしまう部分は
「ごめんなさい、ありがとう」って思えたらいい。

 

 

 

迷惑をかけないようにと思いながらも

 

「自分は迷惑をかけている」って認めて開き直らずに居ることって

 

本当はすごく苦しくて難しいこと。

 

 

 

だけどそうすることで

 

しっかりと「ごめんなさい、ありがとう」と思えるようになる。

 


そう思えることで
人の仕事を尊敬して感謝して、その人に誇りを持ってもらえる。

 

 

 

そして

 

自分が出来ることは全力でやろう
迷惑をかけている分、自分に出来ることで
人に貢献しようと思えるようになる。

 

そうやって
自分の力も発揮できるようになる。

 

 

 

「迷惑をかけるな」なんて言葉はいらないよね。

 


沢山の人と関わって迷惑を沢山かけて

 

沢山「ごめんなさい、ありがとう」と思って

 

沢山の人の仕事を尊敬して感謝して

 

自分も人に貢献して、自分に誇りをもっていく・・・

 


こんなふうにしたら

みんなが幸せになれるのにね。

 

 

 

 

 

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