最近はまっている野菜がある。
なんという
しゃれおつで高そうなネーミング
そして
なんという高貴な姿
恐るる事なかれ
そんなに高くない
そんなに難しくない
400円くらい。
お高いようだけど
ブロッコリーの倍以上の分量はあるのでそれほどでもない。
ブロッコリーとカリフラワーの中間みたいな感じかな。
私はブロッコリーより美味しいと思う。
火を通しすぎないように調理すると
サクサク、コリコリと歯触りがいい。
茎の部分をスライスして軽く火を通すとタケノコみたい。
スティックセニョール
ガラガラの大きいハット被ってポンチョ着てひげを生やした
背がやたらと高くて痩せているヒョロッとした人・・・
ではない。
野菜よ。
ブロッコリーの茎の部分が多い感じ。
私は前々から
ブロッコリーは緑の所より茎の所が好きで
あの緑の部分を食べるときに渋い顔してたから
この野菜と出会ったときは嬉しかったなぁ。
茎の部分はブロッコリーより少しこりこりしてて甘い。
これは美味しい。
でもうちの近所ではあんまり売ってないの。
まだまだ知らない野菜もあるもんだ。
こうやって
新しい発見をすると
自分の知らなかったものに出会えると
ひとつ若返るような気持ちになる。
小さい頃の
純粋にわくわくする気持ちが湧いてくる。
小さい頃はそんな気持ち、あったでしょ。
目の前の得体の知れないものが
知的好奇心を激しく刺激して、夢中にさせてくれる。
夢中にさせてくれるものが
現実の不安を吹き飛ばしてくれる。
現実から一時逃避させてくれる。
見切ったつもりでいたつまらない自分の世界が広がった感覚
同時にやってくる
まだ見ぬ世界が広がる期待・・・
知らないことを知るっていうのは
どんな平凡な人生も楽しくしてくれると思うんだよね。
本当に私は不思議で仕方がないんだけど
最近はみんな
全てを知っている気になっていて
知ったかぶりで物知り顔をしてるように見える。
え?
そんなに多くのことを学んで自分の中に吸収してきたの?
そんなに多くのことを経験して自分の信念をつくってきたの?
聞いて回りたいぐらい。
Googleで見かけただけの情報
本を
自分の気になるところだけ
都合のいいところだけ
わかりやすいところだけ端折って読んだ情報
どこかで誰かから聞いたような気がする情報
これってボンヤリ見かけたよってだけで
なんとなくこうじゃないかなってアタリを付けてるだけで
知っているとは言わないんじゃないかと思うんだよね。
経験は無いのに
老人のように達観していて
偉そうになっちゃって
なんでも当たり前になっちゃって退屈そうで
なんだか
幼いのに、老けている感じの人が増えたと感じるのは
なんでなんだろうと思ってた。
たしかに
「知りません」
って言うのって勇気がいるね。
え?こんなことも知らないの?って思われるかも
え?馬鹿なの?って思われるかもって不安に思うよね。
私もそうだった。
だけどね
だんだんと考えが変わった。
どうせ
知ったかぶりしてもバレていることが多いし
バレたときが一番恥ずかしいし
何より
本当に賢い人が相手だったら
知ったかぶりをすることを馬鹿だと思われてしまう。
それに
「知らない」って言っただけで
こんなことも知らないの?馬鹿なの?って思うような人とは
私も付き合いたくなんてないから
思われたら、それはそれでいいって思うようになった。
知らないこと、経験が無いことって、若々しさとも言える。
知らないこと、経験が無いことを知っていることって謙虚さに繋がる。
知らないこと、経験が無いことを悔しがるから
知ろう、動こうってモチベーションが上がる。
知らないことや経験が無いことを認める事って
本当は良いことだらけなんだよね。
脳は「知っている」と思った時点で吸収しなくなっちゃうんだって。
つまり
「知っている」と思った時点で馬鹿になっちゃうかも・・・
「知らない」って思えるほど脳は動き出して賢くなって
知的好奇心は高まって学びは増えて深くなっていく。
無知の知って哲学的な言葉だと思ってたけど
脳科学的にも正しいんだね。
知らないことを自覚できる人はどんどん賢くなっていくんだね。
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