逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

自叙伝㊺自分を信じる私

私には
人生でずっと繰り返すパターンがいくつかある。

 

きっとこれが
自分の根底にある変えられない特徴に結びついた
自分の行動なのだろう。

 


そのうちの一つ

 


人から
「お前には無理だ」

 

こんなふうに言いきられ、道を閉ざされそうになる。

 

それに対して私は
自分が決めたことだけは「自分はできる」という根拠の無い自信を持ち

自分だけを信じて諦めずに進み続け、上手くいく。

 

 

 

このパターンは何度も繰り返してきた。

 


振り返ってみると私は

中学生時代を除くと

最初の印象で、いつも無能に見られた。

 

自信が無さそうにおどおどしていたり

ヘラヘラとしていたり

腰が低すぎたりしたからだと思う。

 

それだけでなく
実際に何をやるにも不器用で物分かりが悪くて

最初は誰よりもダメな状態からスタートすることが多かった。

 


その、最初のダメな状態があまりに酷かったから
そこだけで判断されて見切られて


私がそこから伸びていくとは、誰も信じてはくれなかった。

 

 

 


小学校の音楽会を思い出す。

4年生だったかな。

 

目立ちたがりだった私は
その他大勢のピアニカや縦笛が嫌だった。

 

演奏曲は「八木節」

 

たしか
大太鼓、木琴、鉄琴が1人だけのパートだった。

 


その1人だけのパートがやりたかった。

 


大太鼓は音の大きさに耐えられなかった。
叩いている姿も私の理想のかっこよさじゃなかった。

 

木琴は音が私の好みじゃ無かった。

 


鉄琴は私の理想だった。

 

奏でる音は繊細で、バチを持って叩くのは気持ちがいい。
バチを両手に持つ立ち姿、足も同時に使う様
演奏している姿も美しかった。

 

「絶対鉄琴を演奏したい!」


鉄琴に恋した。
大げさだがそんな衝撃だった。

 

鉄琴のことで頭がいっぱいになっていた。

 


だから
私は何が何でも鉄琴のパートが欲しかった。

 


小学校高学年の頃は
ちょうどみんな恥ずかしがり屋の時期だったのか
たった1人のパートをやりたい!という子は男の子しかいなかった。

 

大太鼓や木琴は男の子が立候補したが
鉄琴は女性らしさがあるせいなのか誰も立候補しなかった。

 

私は手を高らかに挙げて鉄琴に立候補し、見事そのパートを射止めた。

 


ところが最初の頃
私はどんなに練習しても上手く叩けなかった。

 

鉄琴のパートでは無いのに、遊びで演奏した子の方が上手だった。

 

どのパートの子も、日に日に上達していく。
私だけが全然上手くならず、みんなの足を引っ張る状態だった。

 


音楽会もあと一ヶ月と迫ってくる。

 

当然、先生は演奏を成功させたい。
クラスのみんなも優勝したい。

 

それなのに
鉄琴のパートの私だけ完成しそうもない。

 


鉄琴の音は目立つし、ソロもある。

 

誰もが
「竹田を下ろさなければ絶対に失敗する」と思っていたと思う。

 


先生は優しく言う。


「竹田さん、鉄琴はちょっと難しいんじゃないかな。」

 

クラスのみんなも言う。


「お前のせいで迷惑してんだよ」
「〇〇の方が鉄琴上手いんだから変われよ」

 

 

当然の言い分だった。

 


クラスみんなにこれだけ迷惑をかけている私。
やめなければ、明らかに未来の学校生活は暗黒になる。

 

 

これに対して
恐ろしいことに私は

 

ただただ下を向いて泣きながら
「できる」
「やめない」
「嫌だ」

 

子どものように頑として譲らなかった。

 


私は何を考えていたんだろう。
いや、何も考えていなかったから、こんなことが出来たのだろう。

 


人のことを一切考えずに
ただやりたい気持ちだけを頑固にワガママに主張していただけだった。

 


この時期は当然
普段からクラスのみんなに冷ややかな態度をとられていたと思う。

 

それでも私の頭の中は
「自分は絶対に音楽会で鉄琴を上手に演奏する」しかなかった。

 


それまでも他の子よりずっと練習時間は長かった。

 

でもこのことがあってからは
もっともっと誰よりも練習をした。

 

先生にお願いして
毎日、放課後に遅くまで鉄琴の練習をさせてもらった。
出来る限り、何時間でも

飽きずに弱音も吐かずにただひたすら練習した。

 

授業中も休み時間も、暇さえあれば手や体の動きだけで練習したり
頭の中でもずっと鉄琴を演奏するイメージをしたりしていた。

朝から晩まで鉄琴のことしか考えていない。 

 

日常生活が無くなって
鉄琴を演奏するためだけに生きているような一ヶ月だった。

 


そんな必死の練習の甲斐もあって

 

私は少しずつ上手くなったけど
音楽会は迫るのに失敗は無くならなかった。

 


でも状況は大きく変わってきた。

 

そんな狂ったような努力をする私の姿を見ていた同級生は
何も文句を言わなくなっていたし
冷たくされなくなっていた。

 

みんなにも私の気迫がうつってきて
みんなも熱意を持つようになっていた。

 

「優勝なんていいよ。みんなで全力でやろう」
なんて言ってくれる子も増えてきた。

 


音楽会の前日の本番さながらの練習でも
私は失敗した。

 

それでも誰にも責められなかったのを覚えてる。

 


音楽会当日。
緊張はとてつもない。

 

でもどこかでワクワクしている。
この日をどれだけ夢見たことか。

 

そして本番で演奏が始まる。

 

この感覚を覚えている。
練習の時と全く違う。

 


いつも気になって仕方なかった
クラスの子のため息や咳払いや私に向けてくる視線が
全く気にならない。

 

気にならないというより無に近い。

 

ちゃんと合わせる演奏の音は聞こえているのに無音のよう。

 


上手に演奏しようと必死に頭で手足を操っている感覚が
そういう堅さとか邪魔な感覚がなくなって

 

勝手にスルスルと体が動くようになった。

 


そして
いつのまにか演奏は終わっていた。

 


何だか作られた話のようだが
本番ではじめて一度も間違えず、完璧に演奏できたのだ。

 

そして結果も優勝。

 


私は思いきり泣いた。クラスの子も泣いている。

 

たかが
5クラス対抗の音楽会。

 

他のクラスの子も笑ってた。

 


だけど
私にとっては大会の大きさなんて関係ない。

 

周囲の人に疎まれながらも
自分に賭けた、自分を信じ続けて努力し続けた
大きな思いが報われた瞬間だった。

 

 

 

これほどのドラマでは無いけど
同じようなことは沢山あった。

 

 

 

卓球部の大会で
卓球部の人が怪我で出られない。

 

人数あわせに
誰か代わりに出てくれないかという話があった。

 


誰も手を挙げなかった。

 

そこで何故か

 

卓球をやったことも無ければ運動神経も無い私が

 

「やります」と手を挙げた。

 


その場では
「助かるよ」と先生は言った。

 

私は初めての練習で
ラケットに全く当たらなかった。

 

普通の子よりも下手な私の姿を見て
先生はため息をつき絶望をした。

 

きっと他に代わりを探そうと考えていたかもしれない。

 


一方の私は
「卓球ってこんなに楽しいものなのか」と感じていて
辞める気はさらさら無かった。

 


練習をどれだけ重ねても
遊びで卓球をしている子のレベルにも追いつかない。

 

必死に色んな人に教えを請う。
私は上手くならない。

 

周りの迷惑そうな顔、やめてほしそうな顔に気づいている。焦りは増す。
でもやめたくはなかった。

 

卓球は1人じゃできないから
練習に付き合ってもらうのも申し訳ないと思って
毎日狂ったようにラケットの素振りをする。

 

思い出すと笑えるが必死だった。

 


先生と練習をしているとき
たまたまハーフボレーで先生からポイントを採った。

 

ハーフボレーの感覚がすごく気持ちよかった。

 


普通にラケットを振るのは私にとって難しかったけど

 

すばやく正確な位置にラケットを置くだけで
すごいスピードで相手の方に球が返る感じ
体ごと前に出て攻めていく感じ

 

何かわからないけど、気持ちが良かった。

 


「竹田、ハーフボレー上手いな」
「普通こっちの方が苦手なんだよ」

 

褒められた!

私は普通の人が苦手なことが得意だ!

 

何だか目の前が開けて明るくなった。
やるべきことが見えてきた。

もっともっと練習したくなった。

 


そこから私はハーフボレーばかり極めた。

 

ほぼ右側の球すらハーフボレー
どんな球も体を動かしてハーフボレー

 

多分とても面白い姿だ。

 


できるかぎり毎日何時間も練習した。
卓球のことしか頭に無かった。
みんなが休憩していても休憩せずにやり続けた。

 


これも嘘のような話だが
私より上手な2人は強敵に当たり、残念ながら惜しくも敗れ
私1人が勝利した。

 

ハーフボレーばっかりなんて
小学生じゃなかったら、小さな大会じゃなかったら無理だろう。

 

馬鹿みたいに狂ったように
ハーフボレーだけ極めて必死に練習していた姿
思い出すと本当に愛らしい。

 

 

 

多分私は

あまりに恵まれない人生で

偶然に見つけた、自分の心を救ってくれる小さな光を

絶対に逃したくなかったんだと思う。

 

 

これと決めるまでは
人より不器用でやる気も無くて全然ダメな状態だけど

 

自分でやると決めてからは

どれだけでも努力できるし

それに賭ける想いや熱意は誰にも負けなかった。

 

 

そこまでの熱意を持って努力をすることが

人には想像ができないから

いつも人は、無理だと私に言うんだと思う。

 

 

 

あと思い出すのは本番が好きだった。

 

自分を追い込んで集中力を出してくれる本番の空気。

 

ADHDでいつも頭の中がごちゃごちゃしていた私は
本番の緊張感でそれがスッキリする。

 

雑音が消えて、普段感じたことの無い静寂を感じることが出来る。

 


本番にならないと
雑音が消えなくていつも全力で出来ていなかったんだと思う。

 

 

 

だから
受験が好きだったし得意だった。
これを言うとだいたい変な顔をされる。

 

あの緊張感が気持ちが良い。

 

いつも回らない部分の頭が回る気がして
いつもなら解けない問題が解ける。

 

いつも雑音で考えることに集中できないのに
ただ試験問題と自分だけしかない状態になれる。

 


高校受験の時

 

私の内申点は確か2.6だった。

 

これはかなり低い内申点

 

<自叙伝㉒ディスレクシアの私>で書いたように
私は勉強が難しかった。

 

内申点を加味して合否を決める、公立の高校を担任に薦められた。
それは偏差値48ぐらいの高校だった。

 

「他の高校は難しい」

そう言い切られた。

 

私は納得がいかなかった。

 

筆記ではない学力テストでは私は高得点をとれる。
偏差値65をとったこともある。

 

高校受験は学力テストと同じ形式だ。

 

私は先生の助言を無視し
親に良い高校に入るためには私立しかないんだと説得し
私はたった1人で決めて、偏差値60の私立の高校を受験した。

 

合格した。

 

その後
偏差値48の公立高校を薦めた担任は
謝罪も祝いの言葉も何も言わなかった。

 

 

 

大学受験の時も同じだった。

 

絶対に無理だと言われる。言い切られる。
でも自分はやれると思う。

 

そして合格する。

 


大学院受験の時も
臨床心理士試験の時も

 

はっきりと
「君には難しい」
「君には無理だ」と言われている。

 

一度で合格している。

 

 

臨床心理士に合格して一年目に開業することに

 

「コネもなく開業して食べていけるわけがない」

「開業心理士の難しさを知らない」

 

確信を持って言われた。

恐怖を植え付けられた。

 

本当に死ぬ気で努力を重ねたけれど

開業して7ヶ月で、生活が出来る収入を得られるようになった。

 

 


だから私は
私の力を勝手に決めつける人の言葉を絶対に信じない。

 

誰も人の能力なんて見えてやしないんだと思っている。

 


自分が本気でやると決めるかどうかだけ。
やると決めたら私は出来るとしか思わない。

 


振り返ってみると

 

自分を信じる力
これだけはきっと私は誰よりも強かったんだと思う。