逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

自叙伝44 いつでも平然として見える私

中学校時代を振り返ると

 

この頃の私は

 

人と広く交流をして

 

周囲に合わせて積極的に行動して

 

繊細で感受性の高い部分や一般から大きくはみ出している部分
家庭内で巻き起こる問題の沢山の苦悩を隠して平然と振る舞って

 


自分の内面の嵐とはうらはらに
表面的にはちゃんと普通に出来ていたんだと思う。

 


ちゃんと出来ていたどころか

 

学級委員をやって、仲良しグループのリーダーをやって
仲良しグループ以外の人とも仲良くして
グループ交際や恋愛もして
大人っぽく強く冷静な人として認められて

 

きっと普通以上にやれていたんだと思う。

 


やれていたけど
私にとって、それは全然簡単なことじゃ無かった。

 

いつもギリギリの状態で
今思えば狂気すら感じるような気力でやっていた。

 


この頃からずっと・・・今も変わらないけど
どれだけ限界を超えてやっていても
私はどうも、それが表に出ないようだ。

 


何が普通なのか
どうすれば笑われないのか
どうすれば舐められないか

 

とにかく
どうすれば変じゃないのか、浮かないのかばかり考えていた。

 


目の前に人が1人でも居れば
頭の中でこんなことを必死に考え続けて
その時、自分が考えついた正解を試し続けていた。

 


休むことなくこれを繰り返す。

考え続けて試し続けて 

目の前に迫り来る問題に必死に対処し続けているうちに

 


今度は

 

「あなたはすごい」
「中学生とは思えない」
「私たちとは違う」
「涼しい顔して楽々出来るあなたは恵まれている」

 

こんなことを言われるようになった。

 

 

どんなに頑張っても私は

変であること、浮くことから逃れられなかったのだ。

 

 

 

どの年齢の時も
本当によく言われたのは「聖徳太子のよう」

 


大人数で話し合いの時、目の前の人と話しながら
その隣の人が話していることも聞いて
少し離れた人が独り言のように出した話もひろう。

 


これは私にとっては当たり前のことだったけど
周囲の反応を見て
とても奇妙なことなのだと気がついた。

 


目の前の人とだけ話していたら他の人は退屈する。
誰かが発した言葉はどれも大事で、それを放置してはいけない。
その場にいる人みんなで全てを共有しなければいけない。

 

こんな信念が私にはあったような気がする。

 


誰も傷つけないために
誰も不満を持たないために

誰も居心地が悪くならないために

 

つまり

私が誰にも嫌われないために

 

ただひたすら考え続けて動き続けた結果
身についてしまった特殊能力だ。

 

 

 

「おかあさんみたい」

 

これもよく言われたこと。

 


健康な中学生は
自分のことで頭がいっぱいで、色んなことに夢中で
周りが見えない。

 

恋愛で問題が起きれば、この世の終わりのように打ちひしがれ
勉強が上手くいかない、友達、家族とちょっとのすれ違いがあれば
頭の中はその悩みでいっぱいになるだろう。

 


もし
それを友達に打ち明けても

 

みんな自分のことでいっぱいだから
あまりちゃんと聞いてもらえない、受容してもらえない。
同じように視野が狭いから、あまり楽になる言葉ももらえない。

 


私の日々の悩みは同級生のそれとは次元が違うものだった。

 

身体的虐待、精神的虐待、ネグレクト、性的虐待
摂食障害、自律神経失調症、学習障害、発達障害・・・

 

書き切れないほどの悩みの量で、子どもが抱えきれない重さだ。

 


抱えきれないから
いつもどこかにそれを追いやって過ごすしかなかったし

 

自分の悩みに囚われているより
目の前の人の期待に応えて、日々を平穏に過ごすことの方が大事だった。

 


だから
自分が過酷な状況の真っ只中でも
人の話をちゃんと話を聞いて、寄り添うことができた。

 

過酷な人生経験があるから、いつも冷静に話を聞いて泰然として
新しい視点から助言ができた。

 


これが私には当たり前のことだった。

 

中学生とは思えない、何歳なの?なんていう周囲の反応を見ると
その中学生らしくない包容力は異様だったのだと思う。

 


「私のことを助けられる人なんて存在しない」
「私は人の役に立つことでしか存在してはいけない」

 

そんなことをいつも思って

 

自分が本当は一番助けてもらわなければいけない状況でも
いつもギリギリで歯を食いしばって人を助けることが
私の生き方の一つになった。

 

 

 

テストや面倒な作業、責任のある仕事などに

 

普通の中学生は

 

「え~」「嫌だ」「かったるい」

 

こんな反応をするものだ。

 


でも私はそんな時、そんな反応が出来ない。

 

むしろ
心の中で「やった」と思っていたからだ。

 

周りを見渡して同じように
「えー」「嫌だー」と言ってみるものの
嫌そうじゃないねってバレてしまう。

 

 

 

この時

 

自分が何が嫌で、何がやりたいのか

ほとんど分からなかった。

 


普通になりたい、変な部分を消したいと

いつもどうしていいのか分からないまま、必死に努力を続けていたから


大変なことでも

やるべき事を与えられる方がよっぽど楽で安心だった。

 


誰もが嫌がり、不快な感情を表すはずの状況で
私は平然として、むしろ嬉々として、目の前のことに一心不乱に取り組む。

 


きっとその姿は異様で目立ち

 

また
「いつでも平然としている」
「余裕がある」
「人が苦しいときに楽をして出来る」

 

そんなイメージを強く持たれることになったのだろう。

 

 

 

頭の中で必死に考え続けて
その時、自分が考えついた正解を必死に試し続けて

 

目の前に迫り来る問題に対して
「嫌だ」「困った」「弱った」とか
そんな自分の感情を感じる余裕すら無かった。

 



本当に追い詰められて余裕が無いから、感情を感じられない姿

 

全力で取り組んでギリギリでクリアしているのに辛そうに見えない姿

 

淡々と黙々と、人より優れたことをやる姿

 

それが

「いつでも平然としていて余裕があって楽をしている」

そう人には映る。

 

皮肉なものだ。

 


ただ私は
誰よりも必死に生きていただけだ。

 

そうしているうちに色々乗り越えてきただけで
すごくも無ければ、余裕なんてあるわけがなく

 

いつだってギリギリの状態だった。