逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

Twitterを2年続けて感じたあれこれ

2年続けたTwitterをやめました。

 


あぁ2年
振り返ってみるとずっと苦しかった。

 


始めてすぐに、もうつらかったし
自分には向いてないと感じてた。
何度も、やめたい、限界だ・・・と思っていたのに

 

何事もやり切らないと気が済まない私は、2年続けた。

 


得るものはあった。

 


やっぱり
経験をすることで、知らなかった世界を知ることが出来た。

 

Twitterをやらないままだったら
なんとなく想像だけで毛嫌いしたままだったと思う。

 


Twitterだけじゃなくて何でも
自分が経験した上で
「私には合わなかった。私は好きじゃ無い。こんな理由で。」
って言いたい。

 

やったこともないのに、想像だけで批判するのは嫌なんだ。

 


Twitterを経験してわかることがあった。

 

この後に書いていくけど
Twitterの世界がどんなものか
Twitterを利用している人たちの様子が見えたし

 

自分のやりたいことや向き不向きが改めて明確になった。

 

 

 

あとはね

 

ほんの少数だけど
私のツイートを生かしてくれて
本当に日々の生活が楽になったと言ってくれる人たちがいて
無駄じゃなかったと思えた。

 


友人やクライエントさんも
私のツイートが毎日の楽しみのひとつ、心の支えなんて言ってくれて

 

その役に立てたのは嬉しかったな。

 

 

 

だけど
その得るものと比較して、失うものが大きすぎた。

 


私のツイートが拡散されて
臨床心理士としてどうかと思う発言だ」
「こんな臨床心理士は許してはいけない」

 

なんて言われることが何度かあった。

 


びっくりした。
人の悪意ってここまでかと、最初はかなり心をやられたな。

 


もし私が失言に近いツイートをしたとしても
「こんな臨床心理士は追放だ!」
「こんな奴がいると注意喚起しなければ!」
なんて・・・

 

Twitterで、一度の失言で、人を断罪しようとする。
私にはそこまでの気持ちが理解できない。

 

 

 

心のツイートは
学術的に言おうと思えばいくらでも簡単に言えるけど

 

ちょっとユーモアを交えたり
伝わりやすいように砕けた表現にしたり
自分の経験から自分の言葉で表現した方が効果が出やすいと思ってる。

 


それを勉強不足だとか
学術的に説明しろと言われてもね・・・参ってしまう。

 

それで困っている人に伝わるのか、困っている人が助かるのかと思う。

 

専門家同士のやりとりじゃないんだし
心が弱っている人に難しいことで頭を使わせる必要なんてないじゃない。

 

 

 

心の成長段階はさまざまで
どこの段階の人に向かって言うかで、全く違う言葉になる。

 

たとえば

 

努力に関して

 

衣食住が満たされていて自己実現に向かっている人には
励ましたりはっぱをかけるように

 

「無理と思ってからほんの少しだけ頑張ってみよう」
「その苦しさは成長のあかし」
「出来ないと思ってしまうから出来ない。あなたは出来る」

 

なんてツイートになる。

 


だけど
心がへとへとで状態がよくない
あるいは心の病がある状態であれば

 

「もう十分だから休もう」
「努力は目に見えるものだけじゃ無い。あなたは頑張ってる」
「まだ出来るなんて言わないで、もう無理と言える勇気を持とう」

 

なんてツイートになる。

 

 

 

前者に向けてツイートをすると

 

「弱者の気持ちがわからないのか」
「あなたの言葉に追い詰められました」
「そう言い切れるんですか」

 

なんて反応が増える。

 


私はどの段階の人にも言葉を届けたかったけど
結局は後者を気遣って
励ましたい人たちに何も言えなくなった。

 

 

 

あと
長くブログを読んでくれている人は分かると思うけど
私が伝えたいことはとにかく深い。

 

ずっと考え尽くして、やっと言葉になったものを
誤解無く、全て伝えたいから。

 


それを140文字にするのは本当に難しかった。

 

3000字でブログを書くのは簡単なのに
140字の一つのツイートを書くのがすごく難しくて苦しんだ。

 


だけど
そんなツイートは望まれてはいなくて

 

簡単に言い切っている
正論だけ
思慮されているように思えない
そんなツイートが毎日称賛されているのを見ていた。

 

無力感が募る日々。

 

 

 

私だって承認欲求はめちゃめちゃあるけど

 

それは言葉で自慢しても満たされないし
一つの言葉ですごいと思われたいわけでもない。

 


私の飾らない言動を
実際に長い時間見続けてもらって承認してもらいたい。

 

長い時間をかけて私が積み重ねてきたものを
長い時間ずっと一貫してやり続けていることを
自分の目で見てもらって承認してもらいたい。

 


つまり私は
その場しのぎの私、よく見せようと作り上げた私じゃなくて
名誉や評判の高さや後ろ盾は関係なく

 

今の私まるごとを自分の目で見てもらって

それで承認してくれる人がいたら嬉しいなぁと思っている。

 


人の見え方は、その場所での相対的なもの。

 

Twitterという場所では
言葉でどう飾り立てるかで争っているような気がする。

 


現実の自分の言動とは無関係に

 

賢く見せよう
優しく見せよう
強く見せよう
冷静に見せようという争い。

 


そこで飾らずに愚直に表現しても
きっと真実は見てもらえない。

 

 

 

最初はそんなことが分からなかったから
こんな言葉を口に出来る人の実際の人間性はすごいんだろうな・・・

 

こんな言葉を経験から言える人が
こんなに沢山いるのかと驚いて、自分がちっぽけに思えた。

 


ところが
その言葉を言っている人のタイムラインを追うと

 

その言葉以外のほとんどは
思慮が無く、思いやりが無く、謙虚さが無く、感情を露わにしている。

 


あれ。
言ってることと、やってること(実際見えてないけど言葉で)が違う。

 

あんなに
賢く優しく強く冷静な言葉を発することが出来るのに
普段はそう行動をしていない・・・

 

そうか
頭で考えていただけで知識を披露していただけか
理想をあたかも現実のように表現しているだけか
誰かの言葉の受け売りか…と思う人が多かった。

 

 

 

バズるような言葉を言うような人の多くは
まさに私のカウンセリングが必要な状態だと感じてしまった。

 


・自分のことが分かっていない(頭で考えているのか実際出来ているのか)
・自分のことを棚に上げて人のことばかり見る
・自己愛が高く理想の自分を実際の自分だと思い込んでいる
・自分の感情を感じられないから誰かや何かに怒りを向ける

 


こんなのも人の勝手だと思うけど
そうは思えなかったのは

 

やっぱりみんな自分もバズりたいから
そういうのを真似ていくじゃない。

 

心に悪い影響がどんどん広がっていくのが恐ろしかった。

 

 

 


ブログやTwitter、もちろんカウンセリングで
私がみんなの心の健康のために啓発しているのは

 

・自分の頭で考えること

 

・人のことより自分のことをしっかり見ること

 

・自分の気持ちを誤魔化さずに感じること

 

・自分も人も責めずに済むように少しずつ自分に優しくなること

 

・自分の価値を上げていくように、自分の足で動けるように
 被害を受けても被害者になりつづけないこと

 


だけどTwitter
私がコツコツやっているこの事とは逆の事を啓発するように
すごいスピードですごい力で
多くの人を飲み込んでいく。

 


自分の頭で考えなくてもいいから正論を、極論を。

 

自分のことを棚に上げて、重箱の隅をつつくような鋭い批判を。

 

自分の感情よりも、弱者に感情移入して敵への怒りを。

 

自分の間違いも完璧にチェックし、人をとことん追い詰める。

 

権利を得るために、被害を受けたら被害者であることを声高に主張する。

 


これを間違いだとは言えない。
いけないことだなんて私なんかが言う権利はない。

 

だけど
ただ言いたいのは

 

その人の心に安らぎはこないことが私は心配です。

 


もうね。
多くの人が飲み込まれていくのを見ながら
それに抗うように必死に心の健康を考えて戦い続けることが本当に苦しかった。
ヘトヘトになってしまった。

 


Twitterでは
私の力では人の心の健康の役に立てない。

 

そう思ったな。

 

 

 

心の健康を広めたいと
微力ながらずっとコツコツと毎日頑張っているのに

 

目の前で
どんどん心に悪いウィルスが広がっていくような様を見ているのが
本当につらかった。

 

 

 

最後にもうひとつ。

 

陰ながら応援していますっていう言葉
今は間違って使われている気がする。

 

私も使う。

 

だけど
見えないところで微力ながらちゃんと応援している時。

 


良いお店や商品を人に勧めたり
アーティストを広めようと宣伝したり
そんなに必要じゃないものでも応援の意味で購入したり。

 


今の人が使う陰ながら応援って
自分は何もしないけど
何もしないで得られるなら、存在して欲しい・・・ぐらいの時に使っている。

 

Twitterでもやめるやめないになると
竹田さんの言葉に救われてました、やめないでとか言う。
その人、全くいいねを押していなかったりする。

 

嘘じゃないんだと思うけど
複雑な気持ちです。

 


<提供する側へのリスペクト>でも書いたけど
本当に無くなって困るなら
心の中だけで応援しているだけじゃ無理だよ。

 

多分ね
無料で楽しめるものが増えているからかもしれないけど

 

人のために頑張っている人に対して
ちゃんと応援しないと、その人は活動を続けられないよ。

 

お金を使うのが難しいなら
心と手間をかけてほしい。

 


Twitterならフォロー、いいね
リプライで丁寧に感想や感謝を伝える

 

そういうのやっていってほしいと思うね。

 

 

 

だいぶ長くなったね。

 


こんなふうに色んな葛藤を抱えながらの二年でした。

 


Twitter疲れたら少し休んで戻ってきたら・・・

 

なんて言われても
そういうんじゃないんです。

 


Twitterでは心の健康は広められない。

 

Twitterでは私の力はちっとも生かせない。

 

そう分かった。

 


やめると決めてから
俄然、ブログを書きたくなった。

 

ブログを心待ちにしてくれている人は沢山居るし
ブログのような長文を読んでくれる人にこそ
私の力が役に立つんだと思う。

 


あとね
Twitterやめると決めた1時間後に
なんと新しいアイディアが浮かんできた(笑)

 


まだまだ分からないけど

 


私がリアルで交流できる
頭だけでなく行動から心を変えていく
批判より肯定を身につけていく
共通点が多い仲間とより深い繋がりを

 

こんなことを考えて出来ることを考えています。

 

 

 

あぁTwitter
やめてよかったよ・・・

 

 

 

 

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