逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

自分に起きていることがどこか他人事のように感じる理由

愛着障害を持つ人は
自分に起きていることをそのまま見ることが難しいんです。

 

自分に起きている理不尽なことに対して
理不尽だと感じたり、自分の感情を感じることができません。

 


これに最初に気づいたのは

 

ほとんどのクライエントさんが
どんな酷い出来事も他人事のように軽い雰囲気で語り
怒りのような負の感情を全く持てない時です。

 

 

最初は「強い」「冷静」という印象を持ったんですが

だんだんとそうではなくて、「感じられていない」のだとわかったんです。

 




この理由が
クライエントさんの長い親子の歴史を聞いてきて
今現在の親の態度や親子関係を聞いてきて見えてきました。

 


クライエントさんは
親子関係で起きてきた出来事全部を
「親が見たいような現実」にして捉えています。

 

 


例えば

 

幼少期の2,3年に虐待と言ってもいいレベルの厳しいしつけがあった。

 

親が精神的に余裕が無い時期に
感情的に発散するために子どもに虐待のような関わり方をしてしまいます。

 
その後は一切そんなことはなく、どちらかといえば優しい親。

元々それほど悪い人間では無く、どちらかというと憎めない人。

 

親が自分がしたことをを忘れたい、認めたくない、罪悪感に耐えられないとしたら

どうするか分かるでしょうか。

 


罪滅ぼしのように子どもに優しくします。
まるで何も無かったかのように親しげに接します。
ニュースで虐待の事が流れれば「ひどい」と平気で言います。

 


そんな親を見て子どもはこう考えようとします。

 

ずっと優しくしてくれている親、仲良しの親が無かったことにしている。
親が忘れているのだから、事を荒立ててはいけない。

自分が感じたことは大げさで本当は大したことはなかったのかもしれない…

  


「幼少期に自分がやんちゃで酷かったからしつけでされただけ。
 ほとんどずっと優しい親だし、今も自分に優しいから虐待ではない。
 思い出してはいけない。無かったことにして忘れよう」

 


こんなふうに親をが見たい現実


「何も無かった」「自分は虐待なんかしていない」
「自分は優しく良い親で仲の良い親子」

 

それを見させられているんです。

 

 

 

 


社会的に尊敬される人で正しいことをきっちりと守る親。

でも子どもに対して感情的に言葉をぶつけ馬鹿にし子どもを全否定する。

 
子どもの教育に熱心で自分のことのように心配する。

子どもが上手くいっている時はすごく褒め、味方で居る。

 

 

自分が感情をコントロールできない、子どものためというより体裁を守りたかった。


これを認めたくない、自分の感情的で幼稚な部分は無いことにしたい。
そんな親はどうするか分かるでしょうか。

 


大きくなって成功した子どもを褒めちぎります。
どれだけ子どもを想ってきたか、しつけが大変だったかを語り、恩を着せます。
子どもが何か上手くいく度に自分の子育ては間違っていなかったと言います。

 

 

 

そんな親を見て子どもはこう考えます。


今これだけ上手くいっているのは親のおかげ。
自分は必死に頑張ってきたけれど、親の力なのかも知れない。
親は自分のことのように喜んでくれるのだから愛してくれていた。

  


「子ども時代は自分が浅はかだっただけ。自分のために考えてくれていた。
 酷いと思っていた親のしつけのお陰で今の自分は上手くいっている」

 


こんなふうに親が見たい現実


「子どもの成功は親の教育が正しかったから」
「厳しいしつけは全て子どもへの愛」

 

それを見させられているんです。

 

 

 

 

 

世話好きで子どもの身の回りの世話をやき、できる限りのことをする親。
でも子どもの気持ちや感情はずっと無視していた。



子どもの世話をやくことで自分の人生の責任を子どもに負わせていた。
感情を受け止める事ができないから、世話をやいた。

 

これを認めたくない親がどうするか分かるでしょうか。

 


どれだけ時間やお金を子どもにつかったかを言い、恩を着せます。
自分の養育のおかげで上手くいったと感謝を求めます。
自己犠牲の人生だった自分を愛し続けるよう強います。

 

 

そんな親を見て子どもはこう考えます。

 


親は自分のために沢山の時間やお金をつかって自分を犠牲にした。
どんなに自分が嫌な思いや辛い思いをしてきたとしても
ここまでしてくれた親を嫌ってはいけないし親に感謝が出来ないのは親不孝…

 

 


「私の気持ちはいつも無視されていたけれど、愛情を感じられなかったけど

 自分を犠牲にして私を優先してくれた親。私が不満を持つのはひどいことだ」

 

 


こんなふうに親が見たい現実


「自分は自己犠牲的に子どもに尽くす素晴らしい親だった」
「自分は子どもが望むことを全て叶えた」

 

それを見させられているんです。

 

 

 

 

クライエントさんは親子で起きたことを

客観的に見ることも、自分が感じた現実を見ることも出来ず

 

親が見たい現実をずっと見させられているんです。

 

 

もうこれは

洗脳と言ってもいいくらい酷いことだと私は思うんです。

 

 


親が見たい現実を見るために

 

 

無かったことには出来ない苦しい気持ち

 

愛情をもらえなかった寂しい気持ち

 

押しつけられただけで自分は嬉しくなかった気持ち

 

あなたの為と言われながら、そうじゃないと分かっていた悔しい気持ち

 

自分の気持ちを無視されて自分の人生を奪われたような気持ち・・・

 


そういう沢山の気持ちを押し込めながら
この先もずっと生きていかなければいけないんです。

 


心に問題が起きるのは当然です。

 

 

 

そしてこの影響で

 

親だけで無く
目の前の人が見せたい現実を見るようになってしまいます。

 


「ひどいことをされても、普段は優しいから良い人」

 

「ひどいことをされても、悪気はないから大したことは無い」

 

「おかしいと思うけど、私のためだと言ってくれているからそうなんだ」

 


そうやって

 

本当は何が起きているのか分からなくなり

自分の怒りや悔しさや空しさを感じないようになり
感情が麻痺していってしまうんです。

 

 

いつも人が見せたい現実を見て

自分の目で見たものをごまかして

自分が感じたものを否定して押さえ込んで人の思い通りにされる。

 

 

こうやって愛着障害の人は

自分にされている理不尽なことを理不尽だと感じられず

怒ったり嘆いたらすることも出来ず

 

自分のことなのに他人事のように淡々としか語れないようになるんですね。

 

 

こんな酷いことはありませんね。

 

 

あなたが最初に持った違和感

おかしいと思ったことや不平不満

嫌だと感じたこと

 

それは全部あってるんです。

 

 

目の前の相手が愛情だと主張しても

あなたが愛情だと感じないなら愛情じゃないんです。

 

 

どうか少しずつ自分の目で見た現実を信じて

自分の感覚を信じて自分を取り戻していってほしいです。

 

 

 

 

 

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