逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

表の顔と裏の顔


マッチョな人はタンクトップを着がち。

 

マッチョな人は脱ぎがち。

 


最近ね。その気持ちがよーく分かるんですよ。

 


私はマッチョにはほど遠いけどね。
やっと腹筋がうっすら縦二つに割れ、背筋に大きな溝が出来たぐらい。

 

 

 

ある日のこと

 

友人が私の家に遊びに来た。

 


遊びに来て30分ぐらいで

 

「話は変わるけどちょっといいですか」「見てくれないですか?」
といそいそと上半身裸になる私。

 


初めてではなく友人も慣れたもので
その一連の私の行動に全く引かない。

 

「見せて見せて」なんてのせてくれ

 

「おー!やっぱり美しいね!」なんてかけ声をかけてくれる。

 

より際立たせようと
ボディビルダーのようにポーズをとる。

 

 

 

・・・なんて痛々しい。

 


ちょっと言い訳をさせてください。

 


いや私はね

 

ほんとはすごく恥ずかしがり屋なんですよ。

 

普段の服装は
体のラインがほとんど出ないゆったりめで

露出も控えめな服ばかりなんですよ。

 

 

 

でもこう、なんでしょうね。

 


抑えているものっていうのは
どこかで出したくなるものだと思う。

 


極端な面があると、その裏側の面も大きくなるから。

 

 

 

格闘家とかスポーツ選手とか
いつもアドレナリン全開でむき出しの闘志を露わにして戦っている人を見ると

 

日常はとても穏やかで甘えん坊なんじゃないか
家族や恋人にはものすごく甘えているんじゃないの?
なんて目で見てしまう。

 

 

 

医者とか学者とか
いつもシャンとした所しか見せずに冷静に論理的に話している人を見ると

 

日常ははっちゃけて抑えきれない衝動があって大変なんじゃないの?
なんて目で見てしまう。

 

 

 

批評家とかご意見番タレントとか
いつも人を批判的に強い口調で言い切っている人を見ると

 

日常は人を愛したくて愛されたくて仕方ないんじゃないの?
なんて目で見てしまう。

 

 

 

その役割を果たすために
完璧に自分を抑え込んでいる人は、きっとその反動が大きくなるはずで

 

身近にいる人に大きな負荷がかかるわけです。

 

でもそれでお互いが幸せならもちろん問題は無いけどね。

 

 

 

だけどもし
身近な人と過ごす日常も表の顔と同じく完璧だとしたら・・・
それこそ私は大変なことだと思う。

 


よそ行きの顔も完璧に役割を果たしていて
親しい人と過ごす日常の顔も、完璧に役割を果たしている。

 

ということは
1人の時間にしか、安息の時間はないということになる。

 

その1人の時間もとれないとしたら
もう自分のことが何が何だか分からなくなってしまうじゃない。

 

 

 

いつかどこかで誰かに爆発するか
疲れ果て力尽きるか・・・
どちらか、あるいは両方になると思う。

 

 

 

私もその昔は色々とやらかしました。

 


表の顔も完璧で
カウンセラーとして仕事の顔も完璧で
威厳があり、論理的で、いつも正しく包容力満点だった時は

 

日常では恋人や友人にワガママ放題の暴君だった。

 

「嫌だ。絶対に嫌」
「こうしてくれないと私の機嫌は直らない」
「あれもやって。これもやって」

 

破綻はしなかったけど
私と周囲の人との関係は主従関係のようになってしまった。

 

 

 

表の顔も完璧で、裏の顔も完璧で
1人で居る時間ですら完璧でいようとしたときは

 

鬱になってしまった。

 

 

 

表の顔も完璧で、裏の顔も完璧で
1人の時だけ自分らしく居られたときは

 

人との関わりをとことん避けて
ほとんどの時間を1人で引きこもるようになってしまった。

 

 

 

色々な失敗を繰り返してきた今

 

表の顔は大人としてギリギリセーフぐらい。
カウンセラーとしての顔はカウンセラーとしてギリギリセーフぐらいで
ダメな所も見せながら、包容力と愛情だけはたっぷりと持っている。

 


日常では友人と一緒に
子どものように自由に自分を解放して過ごす。

 

普段大人として頑張っているし、大きな責任をしっかりと負っているから
そこから解放されると野生児のようにのびのび。

 


今のところこれが一番
自分らしくいながらにして
仕事や距離のある人間関係も上手くいくやり方だと思っている。

 


不思議なことに

 

カウンセラーとして完璧に振る舞っている時よりも
あえて自分を開示している今の方が
カウンセリングが断然上手くいくようになった。

 

だから自分のためだけでなく、クライエントさんのためにも
程よく自分を出すことに決めた。

 

 

 

程よく自分を出すと

 

抑えてたり隠したりしているわけではないので
反動がやってくる感じがない。

 


抑えるのではなくて、自分の中にある一面を選択して出している感じ。
演技をするのではなく、自分の中にある面を育てていく感じ。

 

表の顔も本来の自分の一部。
裏の顔で出てくるのは、出せなかった本来の自分の残りの部分。

 

これが実はものすごく難しい。
完璧で居るよりずっと難しい。

 

 

 

今は多くの人が

自分の一面を出すというより

完全に抑えたり隠したり偽って人と関わっているように見える。

 

 

その反動で身近な人や深い付き合いの人に

多くのものを求めすぎたり、多くのものを吐露しすぎたりしてしまう。

 

 

表の顔と裏の顔の差が開けば開くほど

身近な人や深い付き合いの人との関係がうまくいかなくなるんだよね。

 

 

 

ん?

 
やっぱり私が友人の前で脱ぎたがるのは
本当は普段からタンクトップを着て筋肉を見せたい気持ちを抑えているのか?

 

ん?

 

 

 

 

 

関連記事

 

 

www.lilcafe-colony.com

 

 

www.lilcafe-colony.com