みなさんが尊敬する人はどんな人なんだろう。
人それぞれ、その時々で
尊敬のポイントって、きっと違うから
尊敬する人の話を聞くのは面白い。
私は若い頃に理解できないことがあった。
「尊敬する人は両親です」と言う人たちのこと。
私から見ると
確かに大事に育てられてきたようで、ご両親はとても人柄の良さそうな方。
でも特に優れた特技を持っていることもなく
何か大きな事を成し遂げた人でも無い。
どうして?どこを尊敬するの?
忖度しているのかな…
なんて思っていた。
今思うと
私は本当に捻くれた物の見方しか出来なかったんだ。
偉人で無ければ、何か大きな事を成し遂げてなければ
尊敬なんか出来ない
自分の周囲に居る人は
普通すぎてつまらなくて浅くて
間違いだらけで十分ではなくて適当で
何も感嘆させてくれない・・・
本当に傲慢で恥ずかしい。
年齢を重ねて多くの人と出会い接する機会があり
捻くれた私は変わっていった。
肩書きのすごい人や有名な人、学歴や経歴のすごい人に
最初は私も萎縮していた。
でも話を沢山して
長い時間を過ごして観察していくうちに
「確かにその仕事のみ、知識量だけを見ればすごい」
「でも考え方やものの見方や誠実さ、人への接し方は全く尊敬できない」
と思うことが多くなった。
これもまた傲慢かもしれない…
そういう経験を経て
今の私は
その人の外側の部分のみで、その人の価値を計らなくなった。
もちろん外側の部分が立派な人は
「すごいなぁ」と素直に思う。
それだけの時間を費やして
何かを成し遂げてきたという部分は素直に尊敬する。
でも、それはそれで
私が考える人の価値とは分けて考えている。
尊敬って何で感じるんだろう。
ただ
「自分はこの人には敵わない」という思いだけでは
尊敬にはならないのではないだろうか。
もしそうだとしたら
私はほとんどの人に
「この人にはここの部分は絶対に敵わない」といつも思っているから
ほとんどの人を尊敬する人なのかと言ったら、そうじゃない。
敬意は持っているけど、尊敬する人とは違う。
自分が尊敬する人を思い浮かべると
・自分が今なりたい姿に近い人
・自分には向いていないから目指すことすら無理だけど憧れの人
こんな感じのようだ。
世間的にはまだ
何者でも無い人や、それほど高い評価を得ていない人が
私にとっては尊敬してやまない人だったりすることが多い。
人の評価を必要とせずに
それでも自分のやっていることを信じて続けている人を強く尊敬している。
「自分と自分の周囲の人さえ自分の価値を分かっていればいい」
そう思えているであろう
自信や安定感、人との信頼関係を構築できている成熟したところ
「自分が好きなことを好きなようにやっているだけで幸せ」
そう思えているであろう
自由で穏やかで欲深くない、純粋なところ
「自分のやっていることが、自分で正しいと思えていればいい」
そう思えているであろう
芯の強さや、自分への信頼感を持っている強さ
「縁の下の力持ちでいい。自分だけが良くやっていると知っていればいい」
そう思えているであろう
自分や人への愛情の深さや、欲の無い美しい姿
こんなところに言葉にはならない大きな敬意を感じる。
私自身も年齢を重ねて成熟してきて
かなり近いところまできたと自分では思っているが
恥ずかしながら
まだまだ人の評価が欲しい気持ちはゼロにはならないし
この先もゼロになりそうもない。
だから
人の評価を必要とせずにいられる人を強く尊敬する。
今なら「尊敬する人は両親です」
そう言う人の気持ちも本当に理解できる。
親というのは正にそういう存在なんだろうと思うからだ。
「尊敬する人は両親です」
心からそう言える人というのは本当に幸せなことだなぁ。
そして
子どもに尊敬される親になっていくんだろうなぁ。
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