逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

自叙伝㊶中学生でホステスだった私

中学生になり
養父母との関係は変わってきたと書いた。
<自叙伝㊲コントロールし合う養父母と私>

 

機嫌をとれば洋服を買ってもらえることもあった。

 

成績を良くしたいと言えば学習塾に通わせてくれることもあった。
私の成績が良いと養父は自尊心が上がるからだろう。

 

水泳や書道、そろばん、少林寺などは絶対にダメだった。

 


自分の自尊心にはあまり関係が無いということもあるけれど
この頃から私に歪んだ愛情を持つようになったからだ。

 

いつも気持ちを分かってくれる
いつも楽しませてくれる
いつも機嫌をとってくれる
いつも尊敬をしていてくれる
いつもどう振る舞っても変わらない態度をとってくれる

 

養父は

そんな完璧な私を独占したくてたまらなかったのだ。

 


暇な養父は 

とにかく私と一緒の時間を過ごしたがった。
自分の居ない所で私が楽しむことが許せないし
自分以外の人間と親しくすることが許せない。

 

でも
これまでのように力で支配しようとはしなかった。


私から嫌われてしまえば

自分のお気に入りの話し相手では無くなってしまうと分かっていたんだろう。

 

 

そんな葛藤が生まれていたようで
基本的には独裁者だったが
私の顔色はうかがうようになった。

 


中学生の頃はバブルで
養父母の経営するスナックもどんどん羽振りが良くなっていった。

 

養母だけに働かせてずっと家にいた養父も
気分によってマスターとして威張りにスナックに行くようになった。

 

働いている気分も味わえるし
「マスターはかっこいい」
「マスターは占いがすごい」と褒めてもらえる。

客には気を遣ってもらえる。

 

この頃は景気が良いから毎日満席で

店側の方が立ち場が強かったからかもしれない。


私が見る限りは養父が居ないほうがお客さんは楽しそうだった。

 

 

養父は暇を持て余し、占いにはまり始めた。

人のこともよく占うようになった。
それがホステスとして雇った女性たちに喜ばれ尊敬されていたのを覚えている。

 

それで若くて可愛い一番人気のあっこちゃんに手を出そうとしていたのを
私は見逃さなかった。
振られていたけど。

 


バブルの頃は
うちのスナックで働くホステスの女性も増えた。

私は何だか嬉しかった。

 

養父母以外の大人が大好きだったからだ。

 


ずっと一番人気だったあっこお姉ちゃん(そう呼んでいた)は
美人でスタイルが良いのに
全く気取りが無くて面白くて性格が良くて大好きだった。

 

養父がひどいことをしても娘の私に当たること無く
いつも優しくしてくれた。

 


相談にのってくれたこともあったし
あっこお姉ちゃんが養父の愚痴を聞いてくれることもあった。

逆に養父の悪口を言ってくれることもあった。

 

私もあっこお姉ちゃんが養父に何か言うかもしれないと思っていたし
あっこお姉ちゃんも、私が養父に告げ口するリスクもあると思っていただろう。

 

お互いに奥歯にものが挟まったような話し方になっていたけれど
「あの父親じゃ大変だよね」と言ってくれた時の感激を覚えている。

 


中学生だった私の顔が3歳ぐらいの卓球少女あいちゃんに似ているって
よくいじられてた。
それが子ども扱いされてるような

仲良しみたいなような気がして嬉しかった。

大人然としていた私は、大人に子ども扱いされることはほとんど無かったから。

 


あっこお姉ちゃんのような完璧な女性が
なぜうちのような小さなスナックに来てしまったんだろうとよく思っていた。

 

他のお店だったらもっと大事にされて大成したはずだ。

 

若くて水商売を知らなかったからだろうか。
うちに初めてきたときは10代だった。
あっこお姉ちゃんは恩を感じて中々やめられずに悩んでいた。
養父は言葉巧みに罪悪感を煽り、良い条件を提示して縛っていた。

 


さすが最低な人間の養父は
あっこお姉ちゃんがやめると言わなくなると
すぐに約束を破り何だかんだ理由をつけては条件を悪くする。

 

辞めるときに高額の退職金を用意するから、お願いだから居てくれと言ったのに
最後にとうとう止められなくなったときには
何も渡さず、感謝も無く、ただ罵って決別した。

 


私はこの時の怒りを今もまだ覚えている。

 

あっこお姉ちゃんが大好きだったから、こんなことになって本当に申し訳なかった。
何年も頑張ってくれて、何度もやめようとしたのに騙されて続けてきて
若く美しい人のどれだけの時間を奪ったか。

 

最後のお別れの時に私があっこお姉ちゃんと離れたくないと思っているのも
なんとなく分かってくれていた。
私に対して怒りをぶつけたっておかしくないのに
何度もごめんという顔をして私の方を見てくれた。

 

でもやっぱり連絡をとる手段が分からないまま、お別れになった。

 

養父を最低な人間、いやクズだと思い始めてはいたが
多分この時に完全に見限ったような気がする。

 

 

 

バブル景気で大儲けしていた養父母だったが
人件費をとにかく削ろうとしていた。

 

 

その時
日本に来ているフィリピン女性が多く、そこに目をつけた。

 

よく覚えていないがビザの関係で本当は帰らなければいけない人を
法律を上手くかいくぐって雇って
その代わり安く使うみたいなことをしていたと思う。

 


ダンサー、シンガーとして来日している人たちで
美人で明るくダンスも出来て歌も上手い
本当にうちのような小さなスナックにはもったいない人たちだった。

 


長くうちに居てくれたのは
やっぱり養父の毒牙にかかってしまうような、気立てのいい人だった。

 

シェリーとナタリー。
とくに私はシェリーと仲が良かった。

 

生まれて初めて見る褐色の肌。
日本人とは決定的に違う目鼻立ちの美しさ。
片言の日本語。
底抜けに明るいけれど、苦労があってどこか陰があって優しい。

 

その頃
陰気だった私をいつも明るく笑わせてくれた。

 

母国の料理を作ってくれたり
下ネタのフィリピン語を教えてくれたり
踊ってくれたり・・・

 

シェリーが大好きだった。
私の底抜けの明るさはシェリー譲りかも知れない。

 

 

 

好景気だったから、飲み屋はどこも大繁盛だった。

 

他のお店は人件費を惜しまない。
儲けているのに時給を上げない癖に
やたらと口うるさい、変なマスターの居るうちのお店は
すぐに女の子にやめられてしまい、いつも人手不足になった。

 


そこで以前書いたと思うが
養父は私をスナックで働かせようともくろんだ。

 

人件費は浮くし、私と一緒に過ごすことも出来る。
一石二鳥だ。

 

この時私は中学2年。

 

今ならこの養父を逮捕出来るのだろうか。
養子なら働かせているのでは無くお手伝いだと
しらを切ることが出来るのだろうか。

 


最初は私も絶対に無理だと思っていた。

 

男性、とくに養父を思わせる、おじさんが苦手だった。

 

それに性的虐待や性被害の経験で
自分が女性と扱われること

女性の部分を表に出すことを嫌悪していた時期だった。

 

 

 

だけど

やっと色んなことが少しだけ自由になってきた時期だ。
雰囲気的に、これを嫌がればまたしばらく不機嫌になる空気だった。

 

もう自由を奪われるのは耐えられない。
どんなに本意ではなくても

養父の機嫌をとれるだけとって自由で居ることを選んでいた私は
ホステスをすることを選んだ。

 


それに
あっこお姉ちゃんと話せる。シェリーと過ごせる。
そんな思いもあったかもしれない。

 


次の日が学校が休みの日に働いた。

 

 

18歳だと言った。

たまにもっと若いんじゃない?と言われたけど、ほとんどは疑われなかった。


養父母に売り上げを上げて欲しいと言われ
一杯1000円のビールを沢山飲んだ。

 

初めてお酒を飲んだ。
ただただ不味くてアルコールのにおいは臭くて
私はいつもジュースが飲みたいと思っていた。

 


男性におべっかを言い、女らしく振る舞い、気をひいた。
ピエロのように笑い話をして盛り上げた。
カラオケで大騒ぎした。

 


人件費をけちっているうちの店は
お客さん3~4人に女性1人ぐらいの割合。

 

いつもホステス1人が複数のお客さんの相手をして

退屈をさせないようにするのが大変だった。

もちろん私も。

 


お客さんが不機嫌になったり、怒り出したりするのをなだめるホステスは大変だ。
あっこお姉ちゃんはいつも明るくなだめながら沢山の人と話をして
シェリーはフィリピン人だからと理不尽に感情をぶつけられたり
触られたり馬鹿にされたりした。

 

そんな
あっこお姉ちゃんとシェリーを助けたくて
私もいつも必死だったのを覚えている。

 


中学2年だ。

 

学校では学級委員をやったり
みんなと同じように脳天気に恋愛話をしている時だ。

 

それは自分が何が何だか分からなくなるはずだ。

 


思い出すのは
高校受験の2日か3日前まで働かされたこと。

 

絶対に落ちるなと脅されながらも
人が足りないから頼むと言われる。

 


私の養父母はクズという言葉では足りない人物だった。