逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

私による私の作り方

私には自分が死ぬほど欲しいと思ったものを
人に与えてみるという癖がある。

 

 

 

ヒット商品や新しいサービスを開発する人も

 

「こんなものがあったらいいのに」
「ここがこうだったらいいのに」

 

そう思うけど
探してみてもそれが存在しないから自分の手で作ったんだよね。

 


私は目の前の人に対して
いつもそれをやってきたんだと最近になって気づいた。

 

 

 

小さな頃から人に対して
いつも不満があった。
希望や要望が多くて満足しなかった。

 


はい。
もうどう考えても嫌な子ですね。

 


「もっとこうしてほしい」
「ここはダメ」
「何故こんな酷いことをするんだ」
「こんな人柄の人がそばにいてくれたらいいのに」

 


そうやって
いつも心の中で不満を巡らせているうちに

 

こういう人がいたらいいのにという人間像が出来あがった。

 

 

 

その頃はイメージだけで言葉にはなっていなかったけど
改めて言葉にしてみると

 


自分にも人にも優しく
自分にも人にも誠実で
時に感情豊かで、時に冷静沈着
時に大胆で、時に思慮深く
全力で遊び、全力で働き、全力で怠ける人
愛情に溢れた人

 


私が妄想の中で焦がれていた人間像はこれだ。

 

 

 

何故か分からないけれど

 

自分が与えて欲しかった物を与えてくれる人が居ないなら
自分が人に与えてみよう

 

自分が存在して欲しかった人間が居ないなら
自分がそうなってみよう

 

決意したというほどでもなく
ぼんやりとそんなことを実行してきたようが気がする。

 

 

 

ちょっと話はズレるけど

 

誰にも育てられずに教えられずに、手本となる大人にも出会わずに
私が自分1人で育ってきたのは

 

こうやって理想の人間像が心の中にあって
失敗しながらも長い時間をかけて努力して
少しずつ近づいてきたからなんだなぁと思う。

 

 

 

でも理想の人間に近づけた結果よりも
この努力の過程が私を大きく変えたんだと思う。

 

 

 

自分が理想の人間になろうと実践を重ねていくうちに

 

頭では簡単だと思っていたのに
実際は本当に難しく大変で苦しいことだったと知ることになった。

 

 

 

つねに優しくいるなんて簡単じゃない。
自分の感情の波があったり
日々の出来事に翻弄させられたりするんだから。

 


つねに誠実で居るなんて簡単じゃ無い
自分を良く見せたくなったり
現実を認めたくない気持ちと戦ったりしなきゃいけないんだから。

 


感情豊かでいることは簡単じゃ無い。
感じたくない苦しい感情が日々押し寄せてくるんだから。

 

冷静沈着でいることは簡単じゃ無い。
日々を丸く収めるために、人の気持ちを慮るために
自分の感情をため込んでいつも感情は爆発寸前なんだから。

 


つねに愛情深くいるなんて簡単じゃ無い。
自分が傷つけられても自分が愛されたくても
自分を置いて人を愛することは死ぬほど苦しいんだから。

 


もっともっとあるけど
キリが無いのでここまで。

 

 

自分が努力しても努力しても
失敗ばかりして、なかなか出来ないという経験をして
理想を現実にするには、どれだけ難しいか苦しいかを感じて

 
「人が出来ないのも当然だ。私だって出来ないんだから」
という気持ちが新たに芽生えた。

 


以前は

人に対して不満ばかり持っていたけれど

 

そこからは

不満は感じながらも、自分も人も許せるようになった。

 


でも満足まではいかない。

 

死ぬまで満足はしないとは思うけど
今はこれでいいと認められるようになった感じかな。

 

 

 

そうそう
カウンセリングもね。

 

私の独特なカウンセリングは

 

私がこんな人に話を聞いて欲しい
こんなふうに話を聞いて欲しいっていうことを無意識にやり続けているうちに
このスタイルが出来上がったんだと思う。

 

 

 

思い返すと
会話ではいつもいつも絶望してた。

 


話をしようと誘われて会話をしているのに

 

うわの空で聞いているのかいないのか分からなくて
反応が薄くて興味がなさそうにして
他のことに気をとられていて
自分のことしか興味が無くて

 

何でこんなに人の話をちゃんと聞かないの?と思ってた。

 

 

 

話を聞いていると思えば

 

自分の狭い価値観で話を決めつけて
自分の無知に恐れもなく上からものを言ってきて
自分の興味のあることだけ聞いてきて
正しいか間違っているかの判断ばかりしてきて

 

何でこんなに失礼で自分勝手なことが許されるの?と思ってた。

 

 

 

ちゃんと話をしようと誠実に努力してくれていても

 

自分の感情が分かっていないから

話しているうちに湧き起こる、嫉妬や劣等感、過去の後悔や恥などの

自分の感情に気をとられて話に集中できなくなっていたり

言葉と感情がちぐはぐになっていて

 

沢山の情報が錯綜していて会話どころじゃ無いよ
私は言葉と感情のどちらを受け取ればいいの?と混乱してた。

 

 

 

長い付き合いで沢山話してきているから
話さなくても伝わると思えば

 

あれだけ熱心に聞いていたのに全く覚えていない。
話した事を覚えてくれていないから、はじめて話す人と同じように説明が必要。
私の気持ちも全然理解してくれない。

 

何で時間をかけて会話を重ねてきたのに

何も積み重なっていないの?と思っていた。

 

 

 

この欲求不満をなんとかするために

 

例によって
じゃあ自分がそれをやろうじゃないか
ってなったんだと思う。

 

話す人が

自分が話すことに集中しやすいように

自分の本当の気持ちを話しやすいように

皆まで話さなくても分かってあげられて楽が出来るようにと追求してここまできた。

 

まだまだ完璧じゃないから

もっともっと自分の話をしたくなるように進化したいと思ってる。

 

 

 

こんな感じで

 

無いんだったら私が作ろうじゃ無いか精神で生きているうちに
私は私によって作り上げられてきたようだ。

 

 

 

 

 

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