<自叙伝㉓性的虐待を受けた私>で
養父からの性的虐待のことを書いたが
私にはまだ性被害の体験がある。
自分の中で
「大したことはない」「忘れよう」と
ずっと無かったことにしてきたことだ。
中学2年の頃
私は学習塾に通っていた。
何故、養父がそれを許したのか
勉強の出来ない私がここでどう過ごしていたのかは
あんまり覚えていない。
ほんの半年ぐらいだったと思う。
当時親友だったひろこちゃんのお父さんが家で経営している
小さな学習塾だった。
同級生のお父さん達よりだいぶ年上で
白髪でパーマヘアで丸メガネの個性的な人だった。
私は塾でダントツに勉強が出来なかったし
ひろこちゃんの親友だったからか
ひろこちゃんのお父さんがいつもつきっきりで教えてくれていたのは覚えている。
私は養父母以外の大人の人が本当に好きだったから
いつも懐く傾向にあった。
最初は
塾でひろこちゃんのお父さんに会うのが楽しみだった。
私のことを「みゆ」と呼び捨てにして可愛がってくれて
どんなに勉強が出来なくても
「お前は仕方ないなぁ」と笑いながら優しく教えてくれた。
気がつくとすごく密着してくることに気がついた。
大好きな先生だったけれど
中学2年の私は、その密着が嫌だった。
だけど子ども扱いをして可愛がってくれる人に対して
自分が異性を意識して嫌がることは失礼だと
何故かいつも思っていた。
ふと体を引いてみた。
すぐに先生はまた体を寄せてきた。
その時、養父に感じるような嫌悪感がよぎったのを覚えている。
何度か体を引いても先生は体を寄せてきた。
でもまだ私は信じていて、そういう人なんだろうと思っていた。
それがだんだんエスカレートしていって
「よくできたぞ、みゆ」
「全くだめだなぁ、みゆは」
そう言う瞬間に勢いで肩を抱くようになった。
確かにスキンシップが多めな先生ではあったけれど
他の子に対しては
頭をぽんとしたり、腕をぽんと触るぐらいなのだ。
ある時
塾で模擬テストをやった。
待ち時間が長いからと先生が隣の部屋で待機していた。
出来た子から順番に見せにいって
全問正解まで何度もやり直すような方式だったと思う。
私は一番最後まで残ってしまった。
みんな帰ってしまって、ひろこちゃんも居ない。
自分だけ残っていた。
私は何度やっても全問正解できず
焦りと情けなさと先生の時間をとっている申し訳なさでパニックになって
泣き出しそうだった。
そんな私を励ますように肩を抱き寄せられながら
テストの解説をされていたと思う。
いつも教室として使っている部屋よりも狭くて暗い部屋だった。
いつものように説明を続けながら
先生の肩を抱き寄せる手が下に下がってきた。
脇に手が入る形になった。
怖くて固まった。
いつものように「うん、うん」と聞いているふりをした。
そこからさらに少しずつ手を差し込んできて
最終的に私の横の胸を何度か触ったのだ。
びっくりして離れた。
先生は
「どうしたんだ。聞いてるか~」と言った。
いつものような優しい笑顔。
やっぱり私がおかしいのかもしれない。
また私はドジだから勘違いしているんだ。
そう思った。
「やる気がないならもういい。帰りなさい」
先生は機嫌が悪くなり、怒りだした。
やっぱり私がいけないんだ。
こんなにダメな私の為に親身になってくれた人を怒らせてしまった。
そう思った。
その後、数日経ってやっと平静を取り戻して
この日の出来事を振り返ることが出来た。
私はいつも
こうやって時間が経って平静を取り戻さないと
自分に起きた出来事を把握出来なかったのだ。
あの時の先生の笑顔が
いつもと違い、不自然な怖い笑顔だったことが思い出された。
あの時、明らかに意図的に強い力で
胸の横をしっかりと触られた感覚がいつまでも残っていた。
そして何より
この出来事が何でもないことでは無かったと確信したことがある。
怖くて気づかないようにしていたけれど
私は先生が性的に興奮していると気づいていたのだ。
養父にどう言ったか忘れてしまったが
強く決意を持って塾を辞めたいと伝えたのは覚えている
すごくバカにされたり怒られたりしたが
月謝が要らなくなったのは養父にとって悪いことではないから
割とすんなり受け入れられた。
その後、ひろこちゃんのことも避けるようになった。
信頼を寄せていた人だったからこそ
言葉にはならない恐怖の体験だった。
愛着を求めていた対象に性被害を受けたことが
私をまた絶望に陥れた。
でも誰にも言えないで抱えるしかなかった。
もっと酷いことが小学4年生の時にあった。
この事も何とか無かったことにしようとしていた出来事だ。
養父が唯一仲良くしていた親族は一つ上の姉。
その家族のところに夏休みに私だけ遊びに行くことになった。
埼玉県の田舎で私は養父から離れられるし
遠くに遊びに行ける事なんてなかったから本当に楽しみだった。
叔母さんは少し怖いけれど、その夫の叔父さんが優しくて好きだった。
その息子は養父に懐いていて、趣味のバイクの話をしにうちに良く来ていた。
その息子は大学生だっただろうか。
なんとなく軽くて馴れ馴れしくて、あんまり好きじゃ無かった。
あの養父に懐くぐらいだ。やはりろくな人間じゃなかったのだ。
その家族と団らんをしていた。
いつも食べられない美味しいごはん。
飲み放題のオレンジジュースやコーラ。
テーブルいっぱいのデザートのフルーツやお菓子。
私にとっては夢のような世界で
本当に嬉しくてはしゃいでいた。
叔父さんは優しくて私の話を楽しそうに聞いてくれる。
もう1人の息子の高校生の次男は太っていて熊みたいだと思っていたけど
本当に優しくて面白くて大好きだった。
幸せだった。
テーブルに床座をしていた。
叔母さんの横に座って頭を撫でられたり
叔父さんの膝に座ってくつろいだり
私はすごく年齢不相応に甘えていたと思う。
その時
大学生の長男に「みゆ、俺んとここい」と言われた。
もちろん私は嫌だった。
だけど叔父さんに、「ほら、いっといで」と言われ仕方なく向かった。
膝の上にのせられた。
今思えば
小学4年の私が叔父さんの膝にのるのもおかしいが
大学生のいとこの膝にのるのはもっとおかしい。
ここで恐ろしいことが起きた。
私は大学生の長男の膝の上に居るのが嫌だったが
みんなでワイワイ話している内にすっかり忘れていた。
その時だ。
何かがスカートの中に入ってきて下着の中の局部に触れた。
この団らんの中、大学生の長男は
一瞬でスカートの中に手を入れ、下着の脇から指を入れ、一瞬で局部を触ってきたのだ。
「ひっ」
と飛びはねた。
その瞬間の長男の顔を覚えている。
落ち着き払い、頭のおかしい子を見るように薄ら笑いを浮かべ
「なんだこいつ」
と言った。
そのやりとりに叔父さん叔母さんは
「またくすぐって~」と言った。
私は押し黙った。
その後はもうひたすら早く帰りたいと思っていた。
信じられない犯行だ。
大学生でいとこの小学生にこのようなことをするなんて。
しかも自分の懐いている叔父さんの養子だ。
養父の血筋をこんなとこで引いている。
フラッシュバックされるのはこの時の表情と声。
私にとっての衝撃は
性被害の行為そのものだけでなく
死ぬほど幸せだった団らんを一瞬で破壊され
大勢の前で私を陥れてさらに薄ら笑いを浮かべていた狂気だったんだと思う。
どれだけ私は馬鹿にされていたんだろうか。
絶対に口外しない、あるいは口外しても信用されないと思われていたんだろう。
私は愛着障害のせいで
きっと大人に対してスキンシップを求めていたところがあった。
でもそれは
自分を子どもとして扱ってもらえてこそ満たされる気持ちだ。
自分が「女」として見られた瞬間、それは嫌悪感に変わる。
私は中学生で成人に見られるぐらい大人びた容姿だった。
落ち着き払った振る舞いや、達者な言葉づかいに
大人の女性は、絶対に子ども扱いをしてくれなかった。
一方で
ごく稀に子ども扱いしてくれる大人の男性に対してスキンシップを求めることが
どれだけ危険だったのか、その当時は分かるわけが無かった。
被害に遭いやすかったのかもしれない。
あまりに強い衝撃と絶望が繰り返され
ほとんど記憶が消えているのだが
小学校、中学校で
私が自覚無く、年齢不相応に大人の男性に懐いていって
信用していた人にこんなふうに何気なく性的に触られたことは何度かあった。
何度もあったからこそ
私は私に問題がある。私が男を誘うとんでもない存在なのだ。
こんな私自身の恥は絶対に誰にも言えない。
忌々しい出来事は無かったことにしなければ。
こんなふうに自分を責め、記憶を消そうとしてきた。
ASD傾向があり愛着障害がある女性は
子どもの頃に性被害の経験を持つ人が多い。
私のように
子どものようにスキンシップを求める傾向があることや
大人しく内向的な子どもで
抵抗しない、口外しないと思われることで標的にされるのだと思う。
性被害に遭った体験は
人に話せないが故に、さらに深い傷となっていく。
そして多くの被害者はその体験を
自分のせいにする
無かったことにしようと努力を続ける
隠そうとする為に人に心を開けない
これが大人になってから
大きく心に問題を起こしてしまう原因となるのだと思う。
性被害は被害に遭っただけでは終わらない。
その後の人生を蝕んでいくのだ
性被害に遭ったことは事故でしかない。
それなのに
その事故の後の人生まで壊されてしまう。
「加害者が全て悪い」
「気づかない周囲の人も悪い」
「あなたは何一つ悪くないし、あなたの価値には何の影響も無い」
私は、私や同じ経験を持たされてしまった人に
こう言い続けている。