目の前に黙って座っている人達が居ます。
ゆったりと周囲に視線を配って微かに微笑んで
コーヒーを美味しそうに飲んでいます。
マンガを見ながら笑っています。
腕を組んで考えながら
悩んだ表情やハッした表情をしたりしています。
この人達は今
自分の時間を有意義に過ごしているのだと
なんとなく伝わってきます。
特にこちらに何かを伝えようとしていないようだ
ということも分かります。
目の前の人が歌ったり演奏したり、絵を描いたりしています。
優しく歌ったり力強く歌ったり
悲しげな音色を奏でたり
賑やかな絵や静かな絵を描いたりしています。
この人たちは今
言葉以外の方法で自分の何かを表現しているのだと
伝わってきます。
こちらも言葉にはならない何かが伝わってきたり
自分なりに好きなように感じたりして
言葉にならないまま
自由に受け取っても良いのだということが分かります。
目の前の人がこちらに何かを話そうとしています。
いきいきとした表情で
ジェスチャーを交えながら懸命に伝えようとしているけれど
上手く言葉にならないようです。
溢れ出る感情が言葉にならないようで
言葉に詰まって泣いています。
この人たちは今
伝えたい気持ちがあるのに上手く言葉にならなくて
言葉以外の形でこちらに伝えようとしているようだということは
なんとなく伝わってきます。
多くの人は
一生懸命伝えてくれようとしているので
自分なりに理解しようと気持ちを推測してみたり
言葉になるのを待ったりするのではないでしょうか。
では次のような人のことはどう理解しますか?
目の前の人が饒舌に話しています。
「私はこんなふうに考えている」
「私はこんな気持ちだ」
とてもおしゃべり上手で
先ほどの人達とは違い、言葉で全てをこちらに伝えようとしています。
沢山流れ込んでくる言葉の理解は大変ですが
言葉で全て伝えてくれるので
これまでの人たちと違い、こちらが想像する必要が無いので
簡単にこの人のことが理解できる。
そう思ってしまいますよね。
伝わってくるものを感じようとしたり
その人の言葉にならない部分を推測しようとしたりしないですよね。
これが現代の人に
「人は自分のことを全然分かってくれない」
「自分がどう考えて感じているのか分からない」
という悩みが増えている原因だと私は考えています。
自分の考えや気持ちを言葉で全て説明しようとする人ほど
自分のことを分かっていると思い込んでいる人ほど
「人は私のことを誤解する」
「本当は自分がどう考えているのか感じているのか分からない」
と言います。
先ほど挙げた人のように
自分のことを饒舌に話す人を理解する場合
その人の言葉を手がかりに、その人を理解しようとしてしまいますよね。
でも
その人自身が
自分の考えや気持ちを分かっていないのに
分かりきったように話しているとしたら・・・
どんなことになるでしょうか。
「私は彼に対して腹を立てている。許せない」
「彼なんてどうでもいい」
そう口にしていても、本心は全く違うことを思っています。
(彼を失うかも知れない。不安)
(寂しい。むなしい)
聞いている側はその言葉で理解して
(彼女は強い人だ)
(彼に対して気持ちが冷めているんだな)
「そうだよね。ひどい人だよね」
「他にいい人いるよ」
と返答してしまうかもしれません。
そうしたら当然
(この人は私の気持ちを全然理解していない)
と思うでしょう。
それだけではありません。
自分でも自分の言葉に影響を受けて
自分は彼に対して腹を立てているんだ。
自分は弱い人間じゃない。
そんなふうに思い込んでいって
(彼を失うかも知れない。不安)
(寂しい。むなしい)
という本当の気持ちは
自分でも感じられないまま
人にも理解されません。
このようなことを
毎日繰り返していると想像してください。
本当は
色んな気持ちを感じて揺れている。
弱り切っている。
でも
この人はこう感じているんだ。
この人は強いんだ。
人にはどんどん誤解されていきます。
自分は
色んな気持ちを感じていないし揺れていない。
弱っていない。
どんどん自分の本心を無くしていきます。
このように
言葉に頼りすぎている人は
人に誤解されやすく自分のことが分からなくなりやすいんです。
自分のことをこうだと決めつける前に
自分の考えを人に饒舌に語る前に
まだ分からない自分の気持ちがあるんじゃないか
まだ言葉に出来ていないんじゃないか
もっと自分の気持ちをぴったりの言葉で表現できるんじゃないか
一度止まって
もっともっと考えてみてください。
言葉にならない時に
無理に言葉にしてしまうぐらいなら
黙るほうが伝わることがあるかもしれません。
言葉に頼りすぎずに
表情や声のトーン、動きなどでも表現することで
人に誤解されることが減り
自分の本当の気持ちも分かるようになってきます。
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