逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

自叙伝25 人を見透かしてしまう私

特殊な養育環境で育てられた私は
沢山の特殊な能力が身についた。

 


機能不全の家庭で育つということ。

 

それは沢山のハンデを背負って生きることだ。

 

 

 

機能不全の家庭には
そこの親独自の見えないルールがある。

 

そして大抵の場合
そのルールには一貫性がない。
親の機嫌や状態によってめまぐるしく変化する。

 

めまぐるしく変化するルールを守るためには
大変な集中力が必要だ。

 


人は一日に集中できる時間には限界があるとされている。

 

本来なら子どもは
勉強やスポーツや遊びなど
自分の成長のために集中力を使う。

 

それなのに
機能不全の家庭で育つ子どもは
親独自のルールを守るためだけに集中力を使うことになるのだ。

 


そうやって親独自のルールを守るために身につけた特殊能力が
その後の人生に役立つのであればまだマシである。

 


残念なことだが
必死に身につけたその特殊能力は
親独自のルールに適応するためのものだ。

 

その特殊能力を携えて
家庭から一歩外に出れば
当然「変」だと思われるのだ。

 

それなのに
その「変」な状態はは全て
その子どもの人格のせいにされてしまう。

 


それだけではない。

 

多くの場合
その目に見えないハンデを背負ってきたことを
誰にも理解してもらえず
背負っていない人と比較され競争を強いられることになるのだ。

 


私も当事者であるが
我ながら何て酷い話だろうかと思う。

 

 

 

私の場合

 

養父が特に酷い独自のルールを強いる人物だった。
自分の気分によって勝手なルール変更は当たり前だった。

 

私自身が多分生まれつき知能が高かった。

 


そのせいで
奇妙な特殊能力を強力に身につけていってしまったのだと思う。

 

 

 

私が身につけた特殊能力の一つは
「人を見透かす」ということだ。

 


例えば

 

・人の期待を察知する
・人が言わんとしていることを察知する
・人の言動を観察し続けその人の言動の傾向を見つける

 

というようなこと。

 


健全な養育環境で
健康に育てられてきた人は

 

いやいやそんなこと言っても
自分が察知していると思い込んでいるだけだ
人のことなんて分かるわけがない

 

そう思うかもしれない。

 


自分以外の人間に
強く関心を持つ必要が無かっただろうし

 

そのような健康な人は
見透かすような人を野生の勘で避けるはずだから
関わりを持つ機会もあまり無かったのだろう。

 


私と似たような体験を持つ人なら
「見透かしてしまう」
特殊能力は身についてしまっているはずである。

 

 

 

振り返ると私は

 

自分が養父母にとって迷惑な存在だと思っていたから
養父母の期待に応えなければ
私は生きる権利は無いと思っていた。

 

養父母の機嫌によって
怖い思いをしたりしなかったりするから
何とかして期待に応えることが私自身の身を守る事だった。

 

 

 

養父は私に色々と教えることが好きだった。

 


養父が持っている知識内の英単語などは
あっという間に覚えて
出された問題に完璧に答えてしまう。

 

勢いで私から英語の問題を出してしまった。
養父は答えられない。

 

「もういい!」
「調子のってんじゃねぇぞ!」

 


養父の期待は

 

建前では
私が英単語を沢山覚えることである。

 

本音は
教えることで自分が優越感を味わうことだから

 

「私が無知であること」

 

これが養父の期待なのだと察した。

 


それから私は

 

「知らなかった」
「へぇすごい」
「何でも知ってるんだね」

 

知らないフリ
間違っていても見ないフリをするようになった。

 

 

 

中学2年の時

 

養父母は

 

「お店の女の子がいなくて困ったね~」
「これじゃ店が開けられない」

 

と30分ぐらい繰り返し愚痴を言っていた。

 

重苦しい空気だ。

 


「お前だったら中学生でも
 化粧してお母さんの服を着れば立派なホステスなのにな」
冗談っぽく養父が言う。

 

さすがに私も
中学2年生だし、これは冗談だろうと思っていた。

 


しかしこの話は長かった。

 

「もうお前も立派な大人だよな」
「化粧してみたいだろ」
「お前だったら誰とでも話せそうだな」

 


こんな話が続く。

 


とうとう

 

「私働こうか」
と言ってしまう私。

 


待ってたくせに
「いいのか」
「悪いな」
「悪い客がいたら守ってやるからな」

 

と私から言い出したことを強調しいい人ぶるのだ。

 

 

 

養父母は
何か打開策を一つも考えようとせずに
愚痴を私に言う時は

 

私に何か考えさせようとしているか
私に何かを求めるときである。

 


養父母は考えることが苦手だ。
子どもに相談するわけにもいかないから
そうやって話の流れで
私が「こうじゃない?」と言い出すのを待っていた。

 

養父母はしつけと称して強制できることは何でも強制したが
親が子どもに求めることが適切ではないことは
私が自分から言い出すように追い詰めた。

 


この養父母との関わりで

 

自分で考えようせずに相手に考えさせようとする人
言葉にせずに相手に何かを求めている人が
すぐに分かってしまうようになった。

 

 

 

養父母は

 

「分かるだろう」
「ほらあれだよ」
「なんていうんだ」

 

というように
すぐに言葉が出てこないし
自分の気持ちも言葉に出来ない。

 

そこで私が
「こういうこと?」
と熟語や慣用句を言ったり

 

「ひどいね」
「嬉しいね」
と気持ちを代弁したりすると

 

上機嫌になる。

 


私が疲れてそれをサボったり
ピッタリではないことを言うと

 

「わかんねぇのか。バカ!」
「おめぇは人の気持ちを逆なでする奴だ!」
とキレる。

 


この養父母との関わりで

 

人が
言葉にしたいけれど出てこない言葉
言葉にならない自分の気持ち
そういう言葉を代弁できるようになった。

 

 

 

<自叙伝⑰裏表の激しい養父母>
で書いたように

 

得体の知れない人物とずっと過ごすためには
身を守るために
しっかりと観察をして対策を立てなければいけなかった。

 

この関わりのせいで
長く人を観察すれば
その人のだいたいの傾向が見えるようになった。

 

 

 

この特殊能力は
本当に要らないものだったと今は思う。

 


養父母以外の人にも

 

「こう言いたいんだよね」
「こういう所があるよね」
と勝手に人を見透かす。

 

これがハズレていればまだ良かった。

 


私はピタリと当ててしまうから

 

「こわい」
「勝手に決めないで!」
「気持ち悪い!」

 

と怖がられることになったり

 

人の急所を突いてしまって
人の怒りを買ったりすることになった。

 


これまでの人生で
人が私を恐れたり
特に権威を持つ人が私に怒りをぶつけてきたのは

 

この
「人を見透かしてしまう」
特殊能力のせいだったと今なら分かる。

 

 

 

<自叙伝㉔おせっかいな私>
と同じなのだが

 

この特殊能力を持つ私の周りには
養父母と同じように
察してもらうことを迷惑とは思わない人が集まってくる。

 

こういう人は
自分で考えようせずに私に考えさせ
言葉にせずに私に求める。

 

私がヘトヘトになるまで頭を使っても
それを当たり前のことだと思うし
結果を全て私のせいにする。

 


そうして私は
自分はどれだけ人に心を尽くしても人には愛されない
私の近くの人の人生の責任は全て私にある
と思い込んで心を壊していった。

 

 

 

でも今はそうではない。

 


健康的な人は
私に察して欲しいなんて頼んでなんかいないのだ。

 

自分が言葉にする前に察知されることを嫌うし
自分の傾向なんて見つけられたくはないのだ。

 

 

 

今は
勝手に観察をすることは失礼だと思っている。

 

見えそうになっても勝手に見ない。
なるべく出してくれる言葉を大事にしている。

 

観察をするなら
先に観察をしてもらおうと思っている。

 

見せたいと思って見せてくれるものを少しずつ集めて
ゆっくり知っていこうと思っている。

 


こうやって上手に人を見透かすようになってから
人は私を怖がらなくなった。

 

私は人の人生全ての責任を負わなくて良いんだと分かって
私の人生は軽くなった。

 


とても幸せなことである。