逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

自叙伝13 ASDの症状で困っていた子ども時代

ASDの時の自分もまた
ADHDの時と同じように
自分ではコントロールが利かないという思いがあった。

 


両方コントロールが利かないのは同じだが
逆方向に利かなくなる感覚がある。

 

ADHDの時は勝手に外に向かっていく感じ。
ASDの時はどんどん内側に逃げて引きこもっていく感じ。

 

どちらもコントロールが利かない怖さは同じだが
感じるつらさは全く違う。

 


子どもの頃は
ASDの症状が出ている時の方が辛かったかもしれない。

 


多分
子どもの頃は

 

体を動かす
みんなと一緒に何かをやる
みんなと同じような行動をとらなければならない
みんなと同じような感覚を持たなければならない

 

そんな場面が多いから
ASDにとっては難しいんだと思う。

 

 

 

ASDの症状が出ている時の場面を思い返すと
人が私を恐怖する顔や嫌悪する顔が浮かぶ。

 

<自叙伝⑩奇人変人な私>
でも書いたが

 

沢山の場面で
私には困難があった。

 

それを思い出してみよう。

 

 

 

私はいつも

 

「人は傷つけてくる」
「人は不快にさせる」
「人はデリカシーがなく思慮が無い」

 

そんな思い込みを持ちながら

 

人と居るときはいつもひどい緊張状態で
いつ誰が襲ってくるかもしれないという臨戦態勢だったと思う。

 


好意的な言葉にも嫌そうに反応したり
人の無邪気な言動に心の中で激しく怒りを持ったり
人に対してビクビクしていた。

 

 

 

私は容姿にひどくコンプレックスを持っていた。

 

小学校6年生ぐらいの時だったかな。
クラスで一番可愛くて性格の良いまきちゃんに
「みゆちゃん綺麗」
と言われた。

 

それに対して私は
「馬鹿にしてるの?」
とキレた。

 

冷静に考えれば
まきちゃんは性格が良くて馬鹿にするような女の子じゃない。
変わり者で性格のきつい私にも
いつも好意的で優しくしてくれる子だった。

 

本当にひどいことをしてしまった。
笑顔で「ごめんね」と言ってくれたまきちゃんの
恐怖の顔が忘れられない。

 

 

 

友達といると
いつもうつむき気味になり
こそこそと人の顔色をうかがってしまう。

 

「みゆちゃん人の顔色見るの気持ち悪い」
「びくびくしていて疲れる」

 

こんなことを言われた記憶がある。

 

こう言われても仕方がないくらい
怖くて怖くて
人の顔色ばかりを見ていた時があった。

 

 

 

小学校高学年の頃

 

いたずらが流行った。
肩をとんとんして振り向きざまに指をさすとか
後ろから膝をかっくんとするとか。

 

ADHDの症状が出ているときはむしろやる側だったのに
ASDの症状が出ているときにやられると
やられた瞬間カッとするのが分かる。
顔が熱くなる。
とりあえず苦笑いをするが
「恥をかかされた」と死ぬほど腹を立てていた。

 

こんなことぐらいでカッとするのはおかしい。
何故なのか
ASDの時の私は異常なプライドの高さが出てくる。

 

 

 


目の前の人や物しか目に入らない。
だから自分が居る場所で何が起こっているのか
全体の流れが把握できない。

 

思い出してみると
小学校高学年の時はこれが一番ひどかったと思う。

 


大勢で話している時に急に
「竹田はどう思う?」と聞かれると
まるで2人で会話をしているかのように
聞いてくれた人だけに向かって
長々と自分の話をしてしまう。

 

つい聞いてくれたことが嬉しくて
その人にだけ話してしまったんだと思う。
別に私に興味があったのではなく
ただ話をふってくれただけだ。

 

大勢で話していることを忘れ
1人だけに話す姿
みんなが困っているのに自分の話だけを長々とする姿は
相当変だったと思う。

 

 

 

静かな場所なのに
大きな声で話してしまったり

 

ちょっとした陰口に参加すると
その人が近くに居る時にしてしまったり

 

みんなが順番を守っている状況に気づかずに
無意識に割り込みをしてしまって
順番を守らない子だと思われたり

 

時間が無いことに気づかずに
いつまでもゆっくりとしていたり
作業をやめようとしなかったりした。

 


こんなことばかりで
空気が読めないと沢山言われてきた。
自分勝手だとも言われてきた。

 

このとき
私には目の前のことしか見えていなかったのだ。

 

 

 


人が話している言葉ばかりが気になって引っかかる。
話し手の意図を間違ってとらえて返答したり
冗談が分からなかったり
言葉狩りをして会話が好戦的になったりした。

 


例えば
「時は金なり」という諺を習った次の日に
「時間はお金では買えない」という言葉を聞けば
時は金って言ったのはなんだったんですか?
とか食ってかかったりする。

 

意味がまるで分かっていなくて
言葉だけを取り上げている。

 


「昨日家族で知り合いのレストラン行ったんだけど
 1時間待ち。だけどすぐに入れてもらえちゃったの」
と友人が話していれば
「ずるい!みんな1時間待ってるのに」

 

嫌な思いをさせることを言う。

 


「昨日近所の喫茶店で芸能人そっくりのマスターがいたの。
 その人が面白い人で・・・」
に対して
「喫茶店行くと何頼む?私はクリームソーダ!」

 

全く話の内容が分かっていない。

 

 

 

みんなが楽しいはずのことが
どうしても楽しいと思えない。

 

とにかく気分が憂鬱で
みんなが居るときにどう振る舞っていいか分からない。

 

みんなで楽しく過ごしているときに
無表情でボーッとしていたり
憮然とした顔をしていたりする。

 

みんなが私に気を遣うことになったり
ひどく怒られたりする。

 

 

 

頭で考えてからしか体を動かせないから
人とテンポがずれる。
ずれるからドンくさいと言われる。
指摘されるから焦る。
焦るからまた頭で考えて体が動かなくなっていく。

 


ADHDの症状が出ている時は得意だった
ぶたのしっぽというトランプのゲーム。

 

マークか数字が揃ったら手を置くゲームも
ASDの時は上手く出来なくて
頭で考えてしまう。

 

「赤のダイヤの8だ」
「黒のクローバーの8だ」
「赤と黒だから色が違う」
「あ、誰かが手を出した」
「えーと8と8で数字が一緒」
「さあ手を出そう」

 

こんなふうにしているうちに
手を出すのが1人だけかなり遅くなって
いつも私が最後になって
ゲームにならなくてつまらないと嫌がられたりした。

 


小学校のダンスも全く踊れない。
みんなは見て真似して上手く踊るのに

 

私は
「右に二回左斜め上に三回」
「その次は回ってジャンプ」
なんて全部を頭で暗記してやろうとして
グループのみんなが必死に教えてくれるのに踊れなくて
グループの点数が最悪になってしまって
みんなに相当嫌な顔をされた。

 

 

 

こだわりが強くなって
絶対に頑として動かない。
こうなると自分の意思ではもう無理で
人を相当困らせてしまう。

 


5色ある色鉛筆。
どの鉛筆を選ぶかじゃんけんで決める。
私は青以外もう見えていない。
じゃんけんに負け続けて青が取れなかった。

 

そうしたら
「青以外だったら書かない」
と大泣き。

 

ただの嫌な奴だ。
こんなふうに絶対に譲れないこだわりがありすぎて
とにかく人を困らせる。

 


相手がいじわるをしてケンカに発展。
私から手を出す。
先に手を出した私が悪いということになる。
私が謝りなさい、仲直りしなさいと言われる。

 

こうなると
顔を真っ赤にして絶対に謝らない。
謝るなら死んだ方がマシぐらいに思っている。

 


今思い出しても
あの時の気持ちで
どうやって諦めたら良かったのか
どうやって譲れば良かったのか分からない。

 

本当に気持ちがビクとも動かないのだ。

 


例えれば
阪神ファンに
今日だけ対戦相手の応援してと頼むようなものだろうか。

 

日本人ということに誇りを持っている人に
国籍を変えろというようなものだろうか。

 

ちょっと上手い例えが見つからないけれど
とにかく
信念を曲げられる
人としての尊厳を奪われるような感覚がしたのだ。

 

 

 

こんなふうにASDの症状が出ている時
本当に人と上手くやるのが難しかった。

 

なにもかもが上手く出来ない。
人と違う。
人に怖がられて嫌われる。

 


今どんなに人から好かれていても

 

ASDの症状が出ていた子どもの時のことを思い出すと
「自分は人に怖がられ嫌われる人間だ」
という思いがよみがえってくるのだ。