逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

自叙伝11 性別に違和感をもつ私

私は小さい頃から性別に対する違和感があった。

 

今はだいぶ受け入れているけれど
少しだけ女性という性別に居心地の悪さは感じている。

 


性別に違和感を持っているというと
性同一性障害のような
実際の自分の性別と体が違っていることで
苦しんでいるようなイメージがあるかもしれない。

 

私はそれとも違って
どちらの性別にも違和感があった。

 

私にとって性別は、学習するものだった。

 

学習する前は
女性としてどう振る舞えばいいのか分からなかった。

 


私は

持って生まれた役割を全うするために
どう振る舞えばいいのか学んでいくことで
その性別として生きられるんだと思っている。

 


これがまた
私が自分のことを変だと思う理由の一つだ。

 

 

 

小学校低学年の頃は
多分性別の意識はなかった。

 

男子、女子と分かれてワイワイやることは
白組、赤組が分かれているような意識しかなかったと思う。

 


小学校低学年の頃は衝動が強かったから
女子といるよりも男子と騒いでいるほうが楽だった。

 

女子に対しては
なぜか自分が守るものだという意識があって
女子はいつも私の後ろに隠れて
「みゆちゃん助けて」
って言っているイメージがある。

 


スカートをはくことに抵抗はなかったし
男の子の服より女の子の服の方が可愛くて好きだった。

 

ピンクや赤より絶対に青を選んだ。

 

リカちゃんの筆箱より
戦隊ヒーローの筆箱がうらやましかった。

 


お人形遊びは嫌いじゃないけど
友達と上手く楽しむことはできなかった。

 


私は想像力が豊かだから
いわゆる「ごっこ遊び」は楽しい。

 

しかし
みんながやるお人形遊びは
お父さんお母さんお姉ちゃんお兄ちゃんが
日常生活を送るものである。

 


私が女の子とお人形遊びをするとどうなるかというと

 

超能力が使える居候を登場させたり
謎のヒーローを登場させたり
不思議な話をしだす謎の老人を登場させたりする。

 

そして非日常のストーリーを展開させたり
いきなり人形同士でプロレスごっこをさせたりする。

 


これは最高に楽しい。
創作意欲が湧いてきて止まらない。

 

友達はみんなどん引きしているのに気づかない。
どんどん自分の世界に入りこんでいく。

 

「みゆちゃんやめて!」
「もうあっちいって!」

 

ここでハッと我に返る。

 

みんな我慢の限界だったのだろう。

 

それはそうだ。
しっとりおっとりと優雅な人形遊びをするはずが
意味不明な登場人物が理解不能の行動をする人形遊びになったら
小さい女の子は耐えられないだろう。

 

あぁ恥ずかしい。

 


私はすぐに人形遊びに入れてもらえなくなり
退屈な日常を展開している人形達を見ている羽目になる。

 

 

 

他にも女の子との遊びは
私にとって難しかった。

 

可愛いものを持ち寄って
お互いに可愛いと褒め合ったり貸し借りしたりして
ただ可愛いものを眺める時間を過ごす。

 

 

 

私も可愛いものは好きだった。

 

でもどれがより可愛いかをハッキリと感じていた。

 


「なつこちゃん新しいゴム可愛い!」
みんな声をそろえて言う。

 

なつこちゃんはお金持ちの女の子で
オシャレでおませで目立っていた。

 

なつこちゃんの家に集うことが多かったし
気前がよく物をくれるから
みんな機嫌をとっていた。

 


今思うと
小さいながらみんなよくそんなこと出来たものだ。

 

私は真っ直ぐというか何も考えていないというか
可愛くないものを可愛いと言えない。

 

「なつこちゃん、前のゴムの方が可愛い」
「なつこちゃんのゴムよりゆかりちゃんの方が可愛い」

 


・・・やってしまっている。

 

なつこちゃんの逆鱗に触れ
少しの間
私だけ呼ばれなくなる。

 


女の子同士での貸し借り

 

「これを貸してあげる」
と言われても
気に入ったもの以外は要らないから借りたくもない。

 

「いらない」
「こっちがいい」

 

これもみんな怒り出す。
借りたくもないものを借りなければいけないルールが分からない。

 


思い出した。

 

「みゆちゃんひどい」
「みゆちゃんっていつもそう」
「みゆちゃん嫌い」
「みゆちゃんはいじわる」

 

こんな言葉を沢山言われたのを思い出す。

 

 

 

自分が可愛くないと思えば
はっきりと可愛くないと言って泣かせてしまったり

 

誰も聞いていないのに
何がどう可愛いか何がどう劣っているかをとうとうと話し
自分が欲しいもの以外は全く興味を示さず退屈そうな態度をとる。

 

それは女の子とは上手くやれるはずがない。

 

 

 

友達とただじゃれ合いたくて
ぶつかりっこをすれば
「みゆちゃん乱暴者」

 

ちょっとしたイタズラをすれば
本気に取られて
「みゆちゃんっていじわる」

 

 

 

私には
女の子たちのやりとりが
不可解すぎていつも混乱していた。

 

最終的にいつも自分が悪者になって終わる。

 

 

 

男の子のように言いたいことを言い合って
ケンカして仲良くなりたかった。
女の子がなぜ
ストレートな物言いを許さないのかが分からなかった。

 

男の子のようにいたずらをいっぱいして
楽しみたかった。
女の子がいたずらをすると何故泣くのか
私をいじわるだとか変だというのか分からなかった。

 

 

 

私はこんな感じの子どもだったので

 


大人には
「女の子でしょ」
「女の子らしくしなさい」
「女の子なのに恥ずかしい」

 


同級生には
「おとこおんな」
「女のくせに変」
「みゆちゃんって怖い」
「みゆちゃんってイジワル」

 


と言われ続けて
小学校低学年の頃は大混乱だった。

 

 

 


中学生になると
とにかく女としての魅力を追求し始めた。

 

男の子にモテるということで
自分の自尊心が上がる
女の子との話題が増えるということに気づいたからだ。

 

自分を好きになってもらえれば
自分勝手に振る舞ってもいいと思っていたからだ。

 


髪を伸ばして
ふるまいを女の子らしくして
男の子の望むような明るさを出した。

 

大人びている子がモテる時代だったから
中学生で18歳ぐらいに見えた私はモテた。

 

中学生の時も私は女子と過ごすことが難しかったが
この頃は
男の子の話題があれば何とかなった。

 

男の子と仲良くなることが得意だったから
恋愛の相談にのって
好きな男の子の情報を仕入れて
自分も好きなフリをして相談をする。

 

そうやって何とか時間をつぶしていた。

 

 

 

思い返すと
私は男の子の友達のおかげで
学校生活をエンジョイできたと思う。

 

高校生活が最高だった。
今思い出しても幸せだ。

 

1年生の時は地獄だったし
たまに女子に無視を受けたりはしたが
それでも幸せだった。

 

2年生からは
理系クラスで男子が40人女子が8人ぐらいだった。

 

男子の数学オタクとの会話が楽しくて
休み時間にはずっと数学の問題についてとか
物理の問題について語り合っていた。

 

これほどまでに
自分らしく学校で過ごした時間はなかった。

 


さらに私には親友がいた。
男子2人だ。

 

放課後にはいつも3人で過ごしていた。

 

 

 

大人になって女子の友達が出来たけど
私と同じように女子と上手くやるのが難しかった人たちだ。

 

私は本当に女性の気持ちが分からない。

 

 

 

女性であることが嫌なわけではない。

 

生まれ持ったものを大事にしながら
生かしながら生きたいと思っているので
女性の体でいいし、女性の生き方でいいと思っている。

 

だけど
性別という分け方が
とても不自由で自分らしく居られない感じがして辛いのだ。

 


女性として生まれたから
メイクやファッションなど
女性としての美しさを磨くことは楽しい。

 


女性として生まれたから
男性的なガサツな振る舞いは美しくないと
自分でも思うようになって
振る舞いは少しずつ女性らしくしている。

 


女性として生まれたから
ホルモンの関係や体格差で
男性には運動神経や力の部分で叶わないと思うようになって
そこの部分は素直に甘えられるようになった。

 


だけど
女性として生まれたから

 

男性のように理路整然としていてはいけない
男性のように衝動に突き動かされてはいけない
男性のように強く、負けず嫌いではいけない
男性のように掃除や料理が苦手ではいけない

 

というのは
女性だからという理由だけでは納得が出来ないのだ。

 


女性という性別と言うより
この世の中の女性像に不自由を感じているのかもしれない。

 


最後にカミングアウトするが
こんな私は
男性とも女性とも長く交際した経験がある。

 


経験して分かったのは
自分に出来ないことが出来る人が好きだから
男性の方に魅力を感じやすいとは思うけど

 

今のところ私は
自分の性別にも違和感があるし
どちらの性別との恋愛も難しい。

 


どこまで変わっているんだと思うけれど
これが私だ。