逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

自叙伝10 奇人変人な私

愛着障害や発達障害の部分と
ある程度折り合いを付けられるようになってから

 

私は人からどう見られてきたかというと

 

育ちがいい
苦労知らず
生まれつき能力に恵まれている
要領がいい

 


こんな感じだ。

 


実際の私とは真逆である。

 


これもまた
外側から見える姿と
内側の自分の姿のギャップが大きい所で

 

私の苦しみは人からは見えない。

 

 

 

生まれ持った性質で周囲と上手くやっていくのは
至難の業だったし

 

恵まれない生い立ちから
獲得するはずの愛着や生活能力を持っていない。
苦労ばかりで必要な助けも得られなかった。

 


それを表に出すことが出来たら
どれだけ楽だったろうと思う。

 

いつも私は

生まれ持った性質や生い立ちを恥じていたから
それを少しも表に出さないように

必死に隠してきたんだと思う。

 


そうやって

何とかやれるようになった。

 


冷静に考えれば

 

困難を完全に隠してしまうということは
何の苦労もない人に見えるということだ。

 


ずっと私は

苦しんでいることを理解されずに
恵まれていると思われることに怒りを持っていたが
それは私が自分でそうしていたのかと思う。

 

 

 

どうやって困難を何とかしてきたんだろうと
我ながら不思議に思う。

 


困難に対処できたとか
困難を乗り越えたという実感はあまりない。

 

その場その場で必死に考えていた。
とにかく頭に浮かんだ沢山のことを試しては失敗して恥をかいて
成功したら躍り上がって喜んで
そんな繰り返しだったことを思い出す。

 

その繰り返しで身につけた効果的だったものを
今カウンセリングでも役立てているんだと思う。

 

 

 

よくやっていたのは

 

常に自分の変な部分を意識しながら
人には見せないようにすること

 

普通の人を観察しながら必死に真似ることだ。

 

 

 

「私は変だから普通の人のフリをしなくてはならない」

 

これは常に私の頭を支配していた言葉。

だから必死に
自分を隠して人の真似をしたんだと思う。

 

 

 

あの頃によく浮かんでいた気持ちを思い出した。

 


「早くここでの普通のふるまいを覚えなきゃ」

 

「まずい。また変なことをやってしまった。変なのがバレる」

 

「気を抜くな。変なのがバレたら生きていけない」

 


この気持ちが浮かんだときは
もう何とも言えない恐怖、緊張感である。

 

 

 


私が好む映画のストーリーの一つは

 

特殊能力を持っているのを誰にも知られてはいけないとか
自分だけの使命を持って孤独に戦うとか
モンスターである自分を隠しながら人の中に紛れ込むとか
モンスターが迫害され続けるとかいうもの。

 


恥ずかしいが
ずっとこういう映画の主人公と同じ気持ちだったんだと思う。

 

 

変なところは絶対にバレてはいけないし
バレてしまったら大変なことになるという緊張感があった。

 

自分が孤独なのはもちろん
自分は誰にも理解されないし居場所はない
本当の自分は忌み嫌われて当然だと思っていた。

 

それなのに
どこかで自分の方が高尚だと思っていたような・・・

 

とてもバランスが悪い。

 


それはそれは奇妙な雰囲気をまとっていただろうと思う。

 


周囲の人にぶつけられた言葉で
私は自分自身を恐怖するようになった。

 

自分自身を恐怖するようになって
またさらに変な自分になっていった。

 


ひどい言葉を沢山ぶつけられてきた。

 


「なんか怖い」
「気持ち悪い」
「頭がおかしい」
「二重人格」
「なんかすごいオーラ放ってる」
「危ない雰囲気がある」
「目がイッてる」

 

なかなか思っていても
直接人にはぶつけない言葉だと思う。

 


人からの言葉で傷ついてきた人は多いと思うけれど
私ほど沢山の暴言を浴びせられたという人はいないのではないだろうか。

 

これは私の特殊な経験の一つだと思う。

 

 

 

今なら分かる。
何故こんなにも人から言葉をぶつけられてきたのかが。

 


私は自尊心が地の底まで落ちていたから
「こいつには何を言ってもいい」
と思わせるような卑屈な雰囲気を出していたんだろう。

 


傷つけば傷つくほど笑ってしまう癖があったから
「こいつは傷つかないから何を言ってもいい」
と思われていたんだろう。

 


虐待がひどいときは
人にしがみつくような癖があったから
何を言われてもされても水に流して人と接していたから
「こいつには衝動的に言ってしまっても忘れるから大丈夫」
と思われていたんだろう。

 


弱く見える者に対しては罪悪感があって
そこまで追い詰める言葉を言うのは難しいが
どこか気の強さや傲慢さが漏れ出ている私に対しては
「こいつには思い知らせてやらなければいけない」
というふうに思われていたんだろう。

 

 

 

自分を納得させようとしているわけではない。

 

長い間、腹を立てて恨んで、気が済んで
そこから抜け出したから見えてきたことだ。

 


私は大変な経験を沢山してきたけれど
もしかしたら
この「言葉をぶつけられる」ということが
一番苦しかったかも知れない。

 


言葉をぶつけられてきた場面は沢山あるので
これから少しずつ書いていきたいと思う。

 


こうして書きながら言葉をぶつけられた場面を思い出すと
本当によくここまで人から言いたい放題言われて
明るく笑ってきたなぁと思う。

 

我ながらすごい奴だと少し尊敬の念が湧く。

 

 

 


落ち着いた今だから言えることだけど

 

人間は得体の知れないものに恐怖を抱くものだから
周囲の人も
得体の知れない私に恐怖していたのだろうなぁ・・・

 


これまで書いてきたように

 

目立ちたがり屋で
理解不能な衝動的な行動をとるし

 

いきなりスイッチが切れて
無表情、無反応になるし

 

いきなり激しく泣き出す・・・

 


あぁ得体が知れない。

 

 

 

思い出すとまだまだ
人から得体が知れないと思われても仕方が無い部分は沢山ある。

 


幼い頃、若い頃は
多くの人が情緒不安定なものだ。

 

しかし私の情緒不安定の振り幅はとんでもなかった。

 


ASDの状態の時の私は
信じられない冷静さと静かさがある。

 


先生が怒鳴りだした時
抜き打ちテストが言い渡された時
教室で男子が本気でケンカを始めた時
自習になった時
イケメンの教育実習生がきた時

 

みんながワッと騒いだり動揺したり萎縮したりする時
無表情で淡々と堂々としている。

 


こんなふうに
誰よりも冷静で静かな所を見せたと思えば
一方でADHDの私は誰よりも感情的になる。

 


レントゲン撮影や予防注射ぐらいのことで
本気で怖がって泣いたり

 

卒業式で学年で一番の大泣きをしたり

 

トランプやゲーム
どこまで耐えられるかみたいな
チキンレースで
周りが見えなくなって狂ったように熱くなったり

 

ほんの少し自分の意見を言う場面で
泣きながら震えだしたり
頑固に強く主張して譲らずに怒り出したり

 

先生に向かって反抗して
激しく感情をぶつけたり

 


誰もが平気な場面で怖いと取り乱したり
誰もが平常心の時に異常に感情的になったりする。

 

 

 

これも私の生きづらさの一つだったと思う。

 

 

 

静かな時と感情的な時の差が激しく
まるでジキルとハイドである。

 

それだけではなくて
周囲の反応とは逆の反応をしてしまう癖があって
周囲が冷静であれば大騒ぎするし
周囲がとても冷静では居られない時に冷静になる。

 


これでは奇人変人に見えて当然だ。

 


これと同じ事かもしれないが

 

人に合わせて何かをやるのが
苦痛で苦痛で仕方がなかった。

 

いや未だにこれに苦しんでる。

 


ライブで決まった動きをしなきゃいけないとか
ディズニーのタートル・トークみたいなところで
声を上げるとか・・・

 

できない。

 


自分は暗くてノリが悪い人間だとずっと思い込んでいた。

 

だけど自由にさせてもらえれば
思い切りのってはしゃげることが分かって

 

ただ合わせることが苦手なんだと分かった。
決まったことをやることが本当に苦しい。

 

 

 

不思議なことだが
今はこれが私の長所になっている。

 

周囲とは逆だから役に立つ。
人が出来ないことが出来る人間になれる。

 

多くの人が動揺しているときに頼りになることが出来る。
多くの人が退屈しているときに楽しませることができたり励ますことが出来る。
多くの人が萎縮しているときに前に出ることが出来る。

 


やっと普通のフリをすることを諦めたから
たどり着いたところだ。

 

 

 

若い頃はそうはいかない。

 

私の感覚的には
学校で浮く、はずれる、疎まれることは
死を意味するようだった。

 

学校で過ごす時間は長かったし
自分の価値はそこで全て決められるような気がしていた。

 

なぜか、なぜなのか
変なことは劣っているというような決定的なルールがあった。

 

だから
変であることは劣っていて無価値な人間に成り下がるということだ。

 


大人になれば
広い世界があることを体感して
変であることを価値に変えている人のことを知っているから
「学校で馴染めない事なんて気にすることはない」
なんて言えるようになるけど

 


渦中にいる時は

 

そこが全てだから
そこから抜け出す事なんて一生出来ない気がするから
そこでの自分の価値はどこにいっても変わらないと確信してしまうから

 

絶望しかないのだ。

 

 

 

だから私は
学校で生き残るために様々なことを試した。

 


自分から湧き起こるリアクションは全て間違っているようだ
→人のリアクションを真似しよう。

 

驚くとき、動揺するとき、喜ぶとき
タイミングやその表現の仕方も観察した。

 


思い出すと何だかいじらしくて笑えてくる。
始めの頃は上手く出来なくて
ワンテンポずれてたな。

 

何度も何度も繰り返すうちに
真似をする表現をしていると
本当にそんな気持ちになってくるもので
少しずつ気持ちも入るように。

 

笑うと楽しくなるという
ウィリアム・ジェームズの理論を体で感じた。

 

 

 

みんなに合わせなくてもいい人がいるようだ。それはリーダー。
→どの場所でもリーダーになればいい。

 

頼りがいを持ち、統率力を持てば
みんなに合わせなくても
自分のやりたいようにやってもいい。
やりたいようにやった結果の責任を私が負えば
私がやりたいようにやっても歓迎される。

 


これを知ったときの気持ちはもう言葉にならない。

 

やりたいようにやって怒られないなんて
やりたいようにやって喜ばれるなんて
信じられない!
やっと息が吸えるようになった感じだった。

 


これも万能では無くて
たまにリーダーを譲らない人が出てくる。

 

そんな時は私は自分を完全にオフにする。

 


やりたいことが沢山あって
もっと良いことが浮かんでいて
もっとみんなを統率できるのに

 

なんて思っていると我慢ならなくなって
暴れん坊の私が出てきてしまって
リーダーのメンツをつぶしてしまうから

 

そんなときは消極的に無関心に
ひたすら静かに従うのみだ
と心に決めた。

 


こうするしかなかったのだけど

 

普段ものすごいリーダーシップを発揮する人間が
リーダーではない時は消極的というのは

 

ただの嫌がらせ、感じが悪い人だと思われて
これはこれですごく難しいことだった。

 

 

 


自分は迷惑な人間だから罪滅ぼしをしないと一緒にいてもらえない。
→自分の力を尽くして人の役に立って何とか一緒にいてもらおう

 

人の話を一生懸命聴いて、人を楽にしてあげよう。
面白い話をして、人を楽しませよう。
困ったときに支えて、守ってあげよう。

 

自分は与えつづけなければここに存在できないんだから。

 


あぁなんでここまで追い詰められてるんだろう。

 

もうね
ずっと接客をしてるよう。
自分以外の人はお客様っていう感覚。

 

自分は与えて当然
自分はもらえなくて当然
だったんだ・・・

 


書いていて思った。

 

私はこの感覚、すごく根深かった。

 

40年近く
この感覚は抜けなかったかも。

 


たまにそれが抜けるのは
自分のことを明らかに好きな人にだけだった。

 

だから若い頃は
自分に惚れさせることを頑張ってたのか
なんて今さら思う。

 

あぁ嫌な奴。恥ずかしい。

 

 

 


変人の私はこんなことを繰り返しながら
いつのまにか
普通っぽく見えるようになったんだと思う。