逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

愛着障害の回復には母性と父性が必要

愛着障害からの回復には、母性と父性が必要不可欠です。

 

 

 

愛着障害の人に必要な要素は
子どもが育つ上で必要な要素と同じなんですね。

 


母性によって
子どもは安心してのびのびと出来る
失敗して傷ついても回復出来る

 

父性によって
子どもは自分を奮い立たせる強さを学び
合理的な考え方や冷静さを学び
社会に出る前に思い通りにならない現実との折り合いの付け方を学ぶ

 

 

このバランスが崩れると

 


自分に甘くなりすぎたり
自分に厳しくなりすぎたり
失敗を恐れすぎたり
全力を出せなかったりと

 

生きていく上で必要な自分のコントロールが

難しくなってしまうんですね。

 

 

 

私はこのようなバランスが崩れた人

つまり、必要な母性や父性が与えられなかった人のカウンセリングをしています。

 


一度大人になった人に
このような母性や父性を届けるのはとても大変です。

 

そのため
子どもに戻ってもらって育て直しをしています。

 

 

 

子どもに戻ってもらう…

なんだかいかがわしいイメージを持たれるでしょうか。

 

ですが実は皆さんも

一時的にすでに経験があるはずなんです。

 

 

気のおけない友人と

人目を気にせず自然の中などで思いきりはしゃぐ

 

何でも話せる人とお酒を飲んで好き放題話す

 

愛する恋人に子どものように甘える…

 

 

日常的に自然と子どもに返る時間を取って

心のバランスをとっている人は多いんです。

 

 

このような

無邪気で自由で甘えられる状態で

 

コミュニケーションをとる

過去を語ってもらう

日常で湧き出た感情を語ってもらう

 

これが私の言う育て直しです。

 

 

お母さんと子ども、お父さんと子どものような役割を演じるのではありません。 


その様なやり方もあるようですが
私のやり方は違うんです。

 

 


カウンセリングに来られるみなさんは


責任のあるお仕事をされていたり
子育てをされていたりと
日々、大人として過ごしています。

 


そのような方に

いくらカウンセリングという非日常の場とはいえ

「親だと思って甘えて話して」と急に言っても難しいですよね。

 

 

 
親と子どものような役割を再現しないカウンセリングでも


先ほど説明した母性と父性が届けられれば

きちんと愛着障害は治っていくんです。

 

 

 

 

愛着障害の人が育っていく上で必要な母性、父性について

もう少し説明してみましょう。

 

 

 


一般的にイメージされる母性とは

 

優しいお母さん像そのもので

 

何をやっても
「いいのいいの」「大丈夫」「良くできたわね」

すべて肯定的に受け入れる…

 

このような感じではないでしょうか。

 

 

 

ところが、こんなふうに育てられても

 

「受け入れられた」という感覚を持てない場合があります。

 

 

 

 

例えば

 

その子自身が

 

満足のいく結果ではなく、悔しがっている

 

気になることや心配なことがあって、不安で仕方ない

 

こだわりがあって、それが叶わない憤りを抱えている…

 


こんな時


先ほどのようにすべて肯定されたとしたら

満足して納得できるでしょうか。

 

自分が「受け入れられた」という感覚が得られるでしょうか。

 

 

 

得られませんよね。

 

「自分は悔しいのに」

「大丈夫じゃない」

「思い通りに出来てない」

 

この気持ちが受け入れられてないんですね。

 

 

 

こんなふうに

よく感じる、よく考える子どもが育つ上で必要な母性は

 


その子のぴったりの気持ちを見つけて一緒に感じ
その上で、根拠をもって大丈夫だと説明して安心させてあげること

 

私はこう考えています。

 


こうやって書くと簡単な感じがしますが
実際にはとても大変なことです。

 

 

 

子どもによっては

 

不安なのに大丈夫なフリをする

 

内面で起こっていることを外に出せない

 

出したとしても想像もつかないくらい繊細な感覚をうまく言葉にできない
受け取る側が理解が難しい

 

 

 

そのため大人は
ぴったりの気持ちが見つけるのがとても難しいんです。

 

 

 

そして

 

もしぴったりの気持ちを見つけられたとしても

 

大きな感情を受け止めることが出来なければ

 


「そんなことで取り乱すのはみっともない」

「大したことじゃない」

「大丈夫、考えすぎ」など

 

嘆くな、感じるな、と感情を否定したり

無理に子どもを奮い立たせようとしたりします。

 

 

 

また

大きな感情を理解して、一緒に感じることは出来ても
不安が高い親の場合

 


一緒に不安に巻き込まれ

オロオロとして、情緒不安定なところを子どもに見せ
余計に不安を大きくさせてしまいます。

 

 

 

育てる側が

 

子どもと同じくらい繊細な感覚を持っていなければ
繊細な子どもの理解は難しい

 

大きな感情を感じられる強さがなければ
一緒に感じられない、受け止められない

 

様々な経験を経て
問題が起きても乗り越えられるという強さや
問題が起きて乗り越えられなくても支え続けるという度量がなければ
子どもを安心させられない

 


繊細な子どもであればあるほど母性を届けるのは

とても難しいですよね。

 

 

 

 

次は父性について考えてみましょう。

 


一般的にイメージされる父性とは

 

厳しいお父さん像ではないでしょうか。

 


普段は口数は多くないが
いざという時には自分のルールに厳しく従わせる


怒ると怖い、反論は聞かないけれど

頼り甲斐があり何があっても守ってくれる

 


こんなイメージでしょうか。

 


こんなふうに育てられても
社会のルールを上手く守れない
社会の厳しさに耐えられない

 

こんな人は多いんです。

 

 

 

例えば

 

もしその子自身が

 

理解できないルールに従うのが苦手な性質をもっている

 

恐がりで怒られると考えられなくなる

 

頭が良いゆえに

矛盾を見抜いてしまうと言うことを聞く気になれない…

 


こんな子が


父親の言うことだから従わなければならないと叱られて

 

自分に厳しくする強さや
現実の厳しさを知ることが出来るでしょうか。

 


出来ないですよね。

 

 

 

こんなふうに

繊細で怖がりで知能の高い子どもが育つ上で必要な父性は

 


その子の性質や能力を見極めて、成長のタイミングに合わせて
ちょうどいい厳しさで接することだと思うんです。

 

 

 


子どもによっては

 

発達障害や知能の高さが平均から大きく離れていて
普通の子どもと全く違います。

 

出来ることと出来ないことの差が大きいため
課題が簡単すぎたり難しすぎたりします。

 

 

そのため大人は
ちょうどいい厳しさで接することが難しい。

 

 

子どもは

厳しくされ過ぎるとやる気をなくし 

甘くされすぎると怠けてしまいます。

 

 


育てる側が

 

子どもと同じような性質を持っていて
そんな自分自身の理解が出来ていなければ子どもの理解は難しい

 

つねに子どもを見守っていなければ
出来ることと出来ないことのデコボコは分からない

 

根気強く子どもと向きあい続けなければ
自分の気持ちを置いて子どもの成長を願えなければ
その子らしく能力を伸ばすことは出来ない

 

 

 

発達障害のようにデコボコが大きい子どもほど
すごく難しいですよね。

 

 

 


このように

 

子どもが「普通」から離れれば離れるほど

 

親が母性と父性を持って接することは

とても大変になることが想像できるでしょうか。

 

 

 

このようなことから
発達障害の人やギフテッドの人は
愛着障害であることが多いのだと私は思っています。

 

 

 

自分は普通に育てられた

自分はひどい虐待をされた経験はない

 

だから

愛着障害ではない、親に問題はない

自分の問題だとおっしゃる人は多いんですが

 

このような理由で

誰のせいでもないけれど愛着障害になってしまうこともあるんです。

 

そして

このような理由で

発達障害の人やギフテッドの人が

母性や父性を与えられることが難しく、愛着障害からの回復に苦労をするんです。