逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

物事の捉え方で人生が変わる

「物事は捉え方次第」

 

よく聞く言葉です。

 

感受性が豊かな人は
本当にこの言葉がよく当てはまると思うんです。

 

 


<気分で世の中の見え方が変わる>
で言ったように

 

気分が良いときは良い捉え方
気分が悪いときは悪い捉え方をしてしまうので

 

なるべく気分を良く保って
物事を良く捉えるようにしていきたいですよね。

 

 


でも実は
気分が物事の捉え方に影響するだけでなく

 

その逆で 

物事の捉え方でのせいで

自分で嫌な感情を生み出していることって多いんです。

 

 

 
「あの人は自分をバカにしている」
「あの人は自分を嫌っている」

 

本当のところはわからないのに

 

人の行動の意図を決めつけて怒ってしまうこと…

ありませんか?

 


私はよくありましたよー

 


自分にとって失礼だと感じることを人にされたら
嫌な気持ちになってしまいますよね。

 


でも私はその行動だけに怒っていたのではなくて

 

そこから勝手に人の意図を推測して

さらに怒りを大きくしてしまう癖があったんです。

 

 

 

私をこういう人って見えたからそんなことをする

 

私を軽んじているから馴れ馴れしく失礼な関わり方をされる

 

私を馬鹿にしてるから上からものを言われる…

 

 

恥ずかしいですが

いちいちこんなことを考えては憤慨していました。

 

 

今となってわかるのは

 

何も考えずに行動をとっていただけかもしれない

 

誰にでも馴れ馴れしく失礼な関わり方をする人はいるし

その関わり方が愛情表現の人もいる

 

誰に対しても馬鹿にして上からものを言う人もいる

 

 

私が勝手に予測していた意図は

全く当たっていなかったかもしれません。

 

怒っていたことが馬鹿らしいですね。

 

 

 

人の意図って本当はわからないですよね。

 


その人の知識量や知的能力
その人の経験や思考の癖

 

こういうものが複雑に絡み合って
その人の意図は出来上がると思うんです。

 

 

「自分だったらこう考える」

 

なんて何の役にも立ちません。

 

 


深く知らない人の意図なんて絶対に分からないのに
その意図を推測して怒る…

 

本当に意味のないことをしていました。 

 

 

 

あと
色んなことをやらされてると捉えて

義務にしてしまうこと。

 

これも
自分で嫌な感情を喚起させてしまいます。

 

 

 


最初は好きだったはずなのに

「やらなければ」と思った時点で憂鬱な気分になる

 


自分からやりたかったはずなのに
「やらなければ」と思った時点でやらされているような気分になる

 

 

 

気づかないうちに
「やらなければ」と思ってしまうだけで

 

好きだったことが嫌いになって
自分でやりたかったことがやらされている気分になって

人や状況に嫌な感情を持ってしまいます。

 

 

楽しくできるはずが嫌々やることになってしまうなんて

もったいないですよね。

 

 

 


私もあります。

 


今のカウンセリングという仕事。

 


いくらカウンセリングが好きだと言っても

 

遊びではなく仕事ですから
いい加減な気持ちではできません。

 


かといって

「仕事だ」という意識が強すぎると私はダメなんです。

 

 

疲れている時に

今日も仕事嫌だなぁとふと浮かんできます。

 


でも私は本当にカウンセリングが好きなので

この嫌な気持ちが不思議でした。

 

  

そこで想像してみました。

 


今日はオフの日。

クライエントさんとカウンセリング関係は無い。

 

クライエントさんが「話を聞いてほしい」と私に言ってきたら?

 

  

話を聞きたい!会いたい! 


自然とそんな気持ちが湧いてきました。

 

 

 

これは私の極端な話ですが

 


嫌じゃないことまで義務に変換して

楽しめなくなっていることってありますよね。

 

 


物事の捉え方一つで感情がこんなに変わるんです。

 

 

感情が変われば楽しく生き生きとしながら出来ることが増えて

きっと人生も大きく変わっていきますね。

 


ぜひ
思いこみだらけの自分の捉え方を変えていきましょうね。