逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

説得力をもっていますか

「説得力のある人でありたい」

 

私はいつもそう思っています。

 

 

伝えたいことが沢山あるんです。

 

これが伝われば
助かる人が沢山いるだろうなぁと思うんです。

 


だけど
説得力が無ければ

 

どんなに熱い気持ちを持っていても
どんなに人の役に立つ知識を持っていても
伝わらないですよね。

 

 

説得力ってどんなものなんでしょうね。

 

説得力を持つには

 

その人の肩書きや
科学的根拠に基づいた主張が大事でしょうか。

 


でもよく考えてみると


その分野の専門家という肩書きがあれば

正しい内容を述べるとは限りませんね。

 

科学的根拠も
次々と新しい説が出てきてひっくり返ることは多々あって
全く確実なものとは言えませんね。

 

 


こころの問題においては

 

肩書きだけで

経験に基づいていない情報だと


説明が表面的で
実践に移すときに
困難な点や矛盾点が出てくると思うんです。

 

 


私は

 

肩書きのない人の経験談であっても


「中身があって一貫していて説得力を感じる」
「人間的に惹かれるこの人が言うならそうなんだろう」

 

自分の感性で
そう思った人の言葉を信じるようにしています。

 


そして実践すると
すっと自分の人生に落とし込めることが多いんです。

 

 

 

 

最近はクライエントさんに

 

「竹田さんはイメージ通りでした」
と言われることが増えました。

 


元気で生き生きとしていて
優しく熱く思慮深い
理路整然としている
(すみません。お恥ずかしいですが頻繁に言われることです)

 


「ブログの記事に説得力があります」
と言われます。

 


とても嬉しいことです。

 


ずっと

言葉だけ立派で自分は出来ていない

そうならないように自分に厳しくしてきたからです。

 

 

 

私は

自分が感銘を受けた本を書いた人から
直接学ぶ機会が何度かありました。

 

しかしその度に

書いてあることと本人の言動の不一致が大きく
落胆しました。

 

書いた内容を全く実践出来ていないと感じてしまいました。

 


こんなことを多く経験して

 

「良いことだけなら誰でも言える」
ということが分かりました。

 


もっともらしい言葉
あたかも自分が経験して生み出したかのような言葉は
誰かの受け売りかもしれない。

 

そうありたいだけで
自分も出来ていないかもしれない。

 


でも
自分は出来ている体で
自分から出てきた言葉の体で
流暢に語る人はとても多いですね。

 

 

 

「説得力」は

 

自分の経験と知識をちゃんと分けられること。

 

自分がどの程度出来ているのか把握していること。

 

その知識は全体のどの程度を言えているのか把握していること。

 


私はここにあると思っています。

 


だから経験が少なくたって知識が少なくたって
説得力はつけられる。

 


人にアドバイスをしても
思っていることを話しても
誰も自分の話を聞いてくれない。

 

そんなふうに思っている人は
ここを曖昧にしてごまかしている場合が多いと思います。

 

 

 

最近のネットでの様々な議論は

 

こういうふうに
誰かの受け売りを自分の意見のようにしながら
聞きかじった知識をさも全ての答えのようにしながら
戦っていて

 

誰も説得力がないまま戦いは激しくなって
一番もっともらしいことを持ってきた人の勝利で

 

誰も何も得ない
という不毛なことが起きていますね。

 

 

 

ただ自分の思ったこと
そのときの感情で吐き出したいこと
これだって十分な説得力はあるんです。

 

「私はこう思う」と言えたらいいんです。

 

あなたの思いという確実な情報ですから。

 

 

 

説得力を持って発言をするのは
本来はすごく大変なことだと思います。

 

身を切るような体験をして
いつも自分を批判して
いつも勤勉でいて
いつでも批判される心構えをもって

 

やっとの思いで言えることですから。

 

 

ですが

説得力を持つことが出来たら


人に大きな影響を与え
人の役に立てる。

 

そして
あなた自身も
自分を深く知っていけるし向上できる。

 


説得力を持つことは

自分にも人にも

とても素晴らしい影響を与えてくれますね。

 

 

 

 

 

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