逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

アダルトチルドレン、サバイバーなどの呼び名

機能不全の家庭で育った人を

 

最近ではAC、アダルトチルドレンと呼ぶのが主流になってきてますね。

 

ACというのはギフテッドと同様に診断名ではなく便宜上、そう呼んでいるんですね。

 


ギフテッドの場合
高IQ
高い知的好奇心
高い感受性
高い共感性
高い集中力
高い道徳心などをもち
その個性から周囲に馴染むことができず
自己に厳しいゆえに心の病になりやすい。

 

なんて説明が大変なので呼び名が必要です。

 

ACも同じでしょうか…

私はACという言葉があまり好きではないんです。

 

ACはつまり機能不全の家庭で育った人ですね。


機能不全の家庭で育ってきた人

アダルトチルドレン

 

…そんなに長さが変わらないのに名付ける意味はあるんでしょうか…

 
アダルトチルドレンと名付けたせいで、本人が子どもっぽい大人なんて
ちょっと侮蔑した意味合いが含まれてしまうように感じるんです。

 

しかも本人に責任があるような感じがしてしまう…

 
アダルトチルドレンと呼ばれる人は、機能不全の家庭で育った人で育ててもらえなかった人で被害者であるのに、個人の特徴として名付けられるのが嫌だと感じるのかな。

 


機能不全の家庭で育った人の症状の出方は、本人の個性や機能不全の形態でかなり違います。

 
機能不全の家庭で育ったから心の傷があり

生き抜くために自分を守るために自分だけのやり方をつくりあげた。

 

それが周囲から浮いてしまう原因であり、人生をより良くしていくことを阻害する原因。
なにか言動に問題があっても元々は本人のせいじゃないんです。

 

大人になりきれなかった可哀想で残念な人ではない…と私はいつも思うんです。

 

 

サバイバーという言葉にも同じような気持ちがあります。

 

英語が得意な人はこの言葉に奥深さを感じるのでしょうか。

私が英語が得意ではないからでしょうか。


ただ生き残った…その程度の意味しか感じられません。

 

被虐待児の方は違和感をもちませんか?

つらいので虐待という用語はあまり聞きたくないのでサバイバーの方がいいでしょうか。

 


でも私は心の病を克服するまでは、その腫れ物にさわるような感じ、大袈裟に名付けられる感じ、簡単に説明される感じがすごく嫌でした。

 

自分は悪いことをしていないのに事実を言ってはいけないという感じや、自分が気を使わせている存在と思わされる感じもしました。

 


虐待をされた。

それは人はあんまり聞きたくないですよね。

 

「サバイブしてきた人」外側の人は受け止めるのが楽ですね。

自分自身も過去を受け止めやすいのかもしれない。

 

でも長い時間虐待をされてきて、心や体を傷つけられ、人格を変えられ、様々なチャンスをことごとく逃してきた…

この事実はきっと伝わらない。

 


虐待された側は事故にあったようなもので

虐待されるような人間だったわけでもなければ、虐待を未然に防げるのに防がなかった
人間でもありません。

 


だから私は、サバイバーじゃなく虐待をされて育った人間ですと堂々と言いたいんですね。

 

多くの人は見たくない部分を無かったことにして「虐待から生き残ったすごい人」と一言で表現したい。


でも私たちは人が想像できないぐらい

 

毎日毎日とてつもない緊張の中、自分の何がいけないのか、自分はどうしたらいいのか考え続けて、試行錯誤してやってきました。とてつもない長い時間…


子どもにとっての1日の体感がどれだけ長かったでしょう。そして終わりもなかった。

 

子ども時代の狭い世界での虐待という出来事は、ザバイバルなんかじゃない。

きっと大人が強制収容所を経験するぐらい、ショッキングで絶望的な出来事なんだと私は言いたいんです。

 

生き残ったことよりも生き残るまでにどれだけ壮絶な体験があったか。

 

そのトラウマや養育過程に必要なものが抜け落ちているせいで、今も苦しみが続いている。

 

そこをちゃんと見て欲しいんです。

 

 

「サバイバー」

 

大事なところをそぎ落とした呼び名は、被虐待児のための呼び名ではなく周囲の人が見たくないところを見ないための呼び名だと私は思ってしまうんです。

 

 

存在を広く認識してもらうためにこういう名付けが必要なのかも知れませんが、私はできれば使いたくないんです。

 

名付けは色んなことを曖昧にして見ないふりが出来てしまう… 

当事者の方も、もっと自分のつらさに目を向けてほしいんです。