境界性人格障害
ボーダーラインの映画というと
17歳のカルテが有名ですね。
でも
私自身のボーダーの経験から考えると
この映画はどうもピンとこなかったんです。
どこがどう違う
とは言えないんですが。
この映画よりもずっと
あぁ気持ちが分かる。
この人はボーダーだ。
私もこうしていたかも。
なんて感じる
ボーダーが主人公の映画が結構あります。
主人公がボーダーという
設定の映画ではないので
完全に私の主観ですが
ボーダーだと思われる主人公の映画をいくつか
あげていきたいと思います。
ジーア/悲劇のスーパーモデル(1998)
ボーダーでない人
ボーダーに巻き込まれたことがある人
が見ると
ただ腹が立って仕方がない。
ここまでどうしようもない人間なんているのか。
そんなふうに感じるかもしれません。
元ボーダーの私が見ると
あのころの自分をそのまま見ているようです。
一瞬一瞬を
なんとか上手くやろうと必死になっているだけ。
どんなことをしても
その場を乗り切ろうとしているだけ。
それが
事実として
人に迷惑をかけ
騒ぎを起こし
平穏から遠ざかり
転落していく。
嵐の中では
それに気づけない。
私がラッキーだったのは
ドラッグが身近に無かった。
私と彼女との違いはそんなことかもしれない。
サガン ー悲しみよ こんにちはー (2008)
映画としては
ちょっと見づらい映画。
ボーダーにもさまざまなキャラクターがある。
ボーダーには
愛のある厳しさが必要だと私は考えていて
甘やかされる状況は本人にとって毒でしかない。
上手くいかない経験、立ち止まって考える時間が必要
だとも考えていて
若くして大きな成功を収めることは悲劇でしかない。
同じボーダーでも
サガンと私はまったく違う。
私は上手くいかなくなれば立ち止まって考えた。
人から笑われるようなことがあれば気づき
絶対に無くしていこうと修正を重ねた。
でも
サガンのように若くして成功してしまったら?
私だってサガンと同じ人生だったかもしれない。
ボタンの掛け違え
それだけだと思うと
サガンを見ていて苦しくなる。
ブルージャスミン (2013)
空虚さをブランドや男の人で埋め
自尊心の低さを嘘の品の良さや才能の高さで埋める。
とてもボーダーらしいボーダー。
最初は完璧な人間を演じ
罠にかかったら自分の思い通りにしようとする。
これもボーダーだったら分かることではないでしょうか。
私はこの経験から
最初に自分のダメなところを先に全部見せる。
という極端なところに落ち着いています。
罠をしかけないように。
主人公は
嘘に嘘を重ねて
24時間365日ずっと緊張している。
次はどう嘘を重ねていくか
そんなことに人生を浪費する。
私も昔のそんなスリルを思い出す。
とても無駄な時間だった。
嘘をなくすことが
平穏な時間を手に入れる方法だと早く知りたかった。
ローズ (1979)
私は大好きな映画。
ただ酒や麻薬におぼれていく人は
どうしようもない人というふうに一括りにされる。
なぜそうなるのか。
ボーダーなら分かるのではないだろうか。
人に愛されるために
自分の限界を超えて期待に答え続けてしまう。
目の前のことに必死で
自分がどこにいてどこに向かっていて
何者なのか分からなくなる恐怖。
一度手に入れたものを手放すことの大きな不安。
言動だけ見れば誰も理解できない
どうしようもない人。
ただ本人は
必死に愛されようとして
必死に生きているだけ。
元ボーダーには共感できる。
ゴーンガール (2014)
ボーダーを身近に感じたことのない人は
あり得ない話、バカらしい話と思うようです。
でも元ボーダーの私からすると
とてもリアリティを感じる。
本気でやってやろうと思えば
ここまでやれる。
見ていて何度もそう思った。
自分の願望を叶えるためなら
完璧に計画を立て、とてつもないエネルギーを注いで
長い時間をかけて遂行できる。
人をどこまでも見抜いてコントロールできる。
そんな力をもつボーダーだからこそ
その力を人の役に立てなければ
大変な犯罪者になれる。
私自身も
ボーダーがひどいときは
自分に詐欺師、犯罪者になるのではないか
という恐怖を感じたことがあった。
ボーダーは
特殊能力を人の役に立てなければいけない。
ボーダーの人には
自分を戒めるためにも
この映画を見てほしい。
自分は違う。
こんなに狂ってないなんて思わないでほしい。
ボタンの掛け違えでしかない。
また気づいたら
ここに書き足していきます。
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