逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

自分を俯瞰して見ると幸せになる

幸福感を高めるには

 

人間に備わった適応力
「慣れ」をどうしていくかにかかっているんです。

 


「慣れ」の観点から見てみると
どの時代の人も幸福感は変わらないはずです。

 

 

昔は
美味しいものも無くて
不便なことばかりで
娯楽も今に比べると選択肢が少ない。

 

でもそれが当たり前の時代には

それで幸せを感じられるんですよね。

 


また

人間は厳しさにも慣れ
その中で光を見つけることができる。

 


例外は

 

周囲と比較して自分だけが
厳しい状況に置かれている場合ですよね。

 

厳しい状況であっても周囲と同じであれば

慣れによって不幸だとは感じづらい。

 

 

周囲と比較して幸せになったり不幸になったり

より幸せを知って不幸だと感じるようになったりと

 

状況は変わらなくても幸福感は変わってしまうんです。

 

 

例えば


私の話になりますが

 

養護施設にいるとき
外の情報が入ってくるまでは
自分のことをそんなに不幸だとは思いませんでした。

 

 

ところが

 

「親が居ないことは特殊であり不幸」
「養護施設出身は驚かれる経歴」

 

「親がいて愛情を与えられると幸せ」

「親がいて世話をしてもらえると安心」

 

そんな情報を知って
私は自分のことを不幸だと思い始め惨めになったんです。

 


同じ状況なのに
幸福感が変わってしまいました。

 

 

 

これと同じ事が
みなさんにも起きているんです。

 

 


このブログを読んでいる人は

 

住むところがある
毎日食べる物にも困らない
娯楽も沢山ある
ペットを飼うこともできる
仕事もあって
旅行に行くこともできる

 


それなのに


セレブな人や余裕がある人の生活と比較して

自分は足りていないと感じてしまう。

 

 

 

「もっとほしい」
「人からうらやましいと思われたい」


こんな気持ちは
みんな持つものだと思います。

 


でも
この気持ちこそが

 

周囲と比較して
自分は足りていない

と思い込ませ幸福感を低めるんですね。

 


だから
この気持ちを持ち続けていれば

どこまで手に入れても満たされることはありません。

 

ずっと幸福感を減らすことをしているんです。

 

 

 
幸福感は
沢山手に入れることでは高まらないんですね。

 

 


幸福感を高めるためには?

 

これまで話してきたことと
逆のことをしたらいいんです。

 

 

 

ここでよく起こる誤解は

 

自分より下の人と比較して
優越感を持ったり見下したりすること。

 

これは一見
周囲と比較して
自分が恵まれていると自覚しているように見えますが

 

実際は
勝ち負けになっているだけなんです。

 


幸福感を高めるには


目の前の勝ち負けではなく
もっと俯瞰して見て自分が恵まれていることを知る必要があります。

 

 


日本に住んでいる私たちは
事実として恵まれているのでこれが簡単なはずです。

 

 

「世界がもし100人の村だったら」がこの考え方ですね。

 

 

銀行に預金がある
財布にお金がある
大学教育を受けられるのは


100人のうちの一人だそうです。

 

 

私たちは恵まれていますね。

 

 

 

そして
長い人類の歴史を考えても

 

今がもっとも自由で恵まれた時代です。

 

 

私が時代劇を好んでみるのは
いつもこれを再確認できるからなんです。

 

 

私は
多くの人から見ると
養護施設出身
被虐待児
天涯孤独
発達障害で不幸なようですが

 


でも私自身は

 

親がいないことが珍しくない時代や場所があり

 

私の虐待より悲惨な虐待は
時代をさかのぼれば世界を見渡せば山ほどあるということを分かっています。

 

 


好きな物を食べ
住むところがあり
きれいな服を着て
毎日好きなことができる

 

どこが不幸なんだろうと思う事が多いんです。

 

 

俯瞰せずに

今目に入る人を見ると

私は不幸だ…と思いたくなるんですけどね。

 

 

 

「わたしたちは恵まれているんだから」

 

そんなふうに
人から言い聞かせられても
なかなかそう思えません。

 


でもこうして自分で

 

時代をさかのぼって世界を見渡して
自分を捉えてみる

 


そうしたらきっと
自分が恵まれていることを知ることができて

 


幸福感を高めることができるはずです。