逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

二分割思考-褒めればいいの?叱ればいいの?-

子どもを育てる、生徒を育てる、部下を育てる…


誰かを教育をする時

 

褒めればいいのか叱ればいいのか

わからなくなりますよね。

 


褒めれば
自分を肯定できるようになって伸びる

 

叱れば

自分を律する事が出来るようになって力を発揮できる

 

叱ってばかりだと
萎縮してしまい実力を発揮できない

 

褒めてばかりだと

ストレスに弱い子になるかもしれない

 


褒めたらいいの?
叱ったらいいの?

 

パニックになってしまいますね。

 

  

ここで少し考えてみましょう。


褒めて育てるか

叱つまて育てるかどちらかに決めなきゃいけないんでしょうか?

 

 

よく考えてみたら

そんなことはないですよね。

 

 


比較的
上手く育てたという実感がある人
上手く育ててもらったという実感がある人は

 

どっちが良かったなんて言い切れない人が多いはずです。

 

 

 

褒めることも叱ることも
簡単なことではありませんよね。

 

ちゃんと褒める、ちゃんと叱る
これが出来てはじめて上手くいくんです。

  

 

あなたが思う褒めるとはどんな感じでしょうか。

 

 

失敗しても良いところを探して褒める。
そんなにいいと思わなくても褒める。

 

そんなご機嫌とりのような褒め方を想像していませんか?

 

 


これが大きな間違いなんですね。

 

 

人はみんな褒められたら嬉しいなんて言いますが…


でも
何のために褒めるんでしたっけ?

 

 

人を伸ばしたいんですよね。
喜ばせたいんじゃないんですよね。

 

 

だったら

しっかりと現実に照らしあわせて
良いところを見なければいけません。

 

 

現実に即しているからこそ


当人も「確かにそうだ」と思えて自信に繋がります。

ちゃんと見てもらっているという安心感も得られます。

 

 


叱ることに関しても同じです。


その場では機嫌を取ることは出来ません。


でも相手のためを思って悪役になって
(おまえのためを思ってと口にすることは悪役になっていないですよ)


現実に照らしあわせて冷静に叱ることができれば

 

当人も「悔しいが確かにそうだ」と思えて自省ができるようになります。

ちゃんと見てくれているし自分のために嫌な役割をしてくれたと思えます。

 



こうやって現実に照らしあわせて
褒めたり叱ったりすることは本当に難しいですね。

 

 

相手を長い時間かけて詳細に観察して
良いところも悪いところもちゃんと見なきゃいけない

 

自分の状態はいつも置いておかなければ
機嫌がよければ褒め、怒ったときに叱るということになってしまう

 

根気と忍耐力が必要ですね。

 

 


また

褒めるにしても叱るにしても大切なのは

 

「誰がどんなタイミングでやるか」

 

 

普段から信頼関係が築けていないのに


急に褒めても叱っても届くわけがありません。

 

 


普段から
ちゃんと相手のことを見て考えていることが伝わっている

自分自身も律していて一貫していて尊敬されている


それでやっと相手に言葉が届くんですね。

 

 

タイミングも重要です。 

 

 

自信を無くしているときに
現実に即して叱っても届きません。

 

叱るタイミングではなく

寄り添って一緒に嘆いたり励ます時ですね。

 

 

とんとん拍子に上手くいきすぎているときに
現実に即して褒めても有頂天になるだけです。

 

褒めすぎるタイミングではなく

褒めながらも傲慢な点や抜け落ちている所を

助言する時ですね。

 

 

褒めればいいか叱ればいいかではなく

 


人を育てるには

 

相手をよく見なければならないし
自分自身も律していなければならないし

自分のタイミングではなく
相手のタイミングで伝えなけらばならない

 

 

これが出来れば

きっとどちらでも間違いはないはずです。