逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

ギフテッドのプライドの高さは譲れない自分があるから

「自分はプライドが高い」

 

 

ギフテッドの人が

自分の嫌なところとして挙げる特徴ではないでしょうか。

 

 

プライドが高い…


良くないイメージがありますよね。

 

 

 

最近は自己愛の高い人が増えて

 

ツンとして冷たい態度で人と接したり

人を馬鹿にする態度をとったり
弱いものにだけ横柄な態度をとったりと


プライドが高くて感じの悪い態度が目につきますね。

 

 

 

でも

ギフテッドのプライドの高さは

これとは違うとお話したいんです。

 

 

心に傷を負うことで自己愛が高くなって

ギフテッドのプライドの高さではないプライドを持ってしまうこともありますが

 

 

傷つく前、元々のギフテッドのプライドの高さは

 

人を馬鹿にすることも、弱いものに威張ることも、人に冷たいことも

なかったはずです。

 

 

ただ譲れない自分の芯があって

それを守るために頑固に強くなってしまうだけじゃないでしょうか。

 

 

 

公平さを守りたい

弱いものを守りたい

自分が信じるものを信じたい

迎合したくない

 

こんな強い信念が

頑固でプライドが高い姿に見えてしまうんだと思います。

 

 

 

私も小さい頃から
こんな頑固さやプライドの高さを表に出してしまい

いつも人から疎まれました。

 

 

 

プライドが高くても周囲に認められ許されるのは


良家のお嬢様
お金持ち

美人で賢い

 

こんな子だと思います。

 

 

 

私は全く正反対だったのに異常にプライドが高かったので

 

周囲からは

「勘違いの痛い人」と捉えられていたんだと思います。

 

 

 

思い出すと恥ずかしいですが


でも私はこのプライドがなければ

どん底から這い上がれなかったと確信をもって言えるんです。

 

 

このプライドの高さのおかげで

 

現状の惨めな姿を馬鹿にされて自信が無くなっても

自分を見捨てず、自分を信じて、諦めずに努力を続けられたと思うんです。

 

 

 

本当は

プライドはどんな人間だってもっていいんですよね。

 

むしろどん底の人間ほど
プライドが無ければ這い上がるのが難しいと私は思うんです。

 

 


私がプライドの高さでつらい思いをした出来事を思い出します。

 

 

20年前
大学時代にも関わらず

一日12時間みっちりと居酒屋でバイトをしていた頃

 

バイトリーダーがセクハラをする人でした。

 

 

今だったら大変なことですが
当たり前のように女子バイトのお尻を触るんです。

 



女子バイトみんなが

その人に嫌われたくない、空気を乱したくないと

触られても「やだーやめてくださいよ」と笑っていました。

 

 

私にはとても信じられませんでした。

 

電車で痴漢に遭う

怖さや恥ずかしさや悔しさや怒りは女性は持てるのに

 

なぜここでは平気で笑っていられるのか。

 

 

家族ではない、彼氏ではない…

ただのバイトの先輩。

 

むしろ私は

私という人間を知った上で触られるなんて尊厳を踏みにじられるようで

赤の他人に触られるよりも耐えられません。

 

 

 

なぜか
ずっと私一人だけは触られなかったのですが

 


ある日
勢い余ってなのか、間違ったのか

すれ違いざまに彼が私のお尻を触りました。

 

 

何か頭の中ではじける感覚がしました。

 

私はお客さんや他のバイトの人も沢山いるのにも関わらず
その場で、烈火のごとく怒り号泣しました。

 


バイトリーダー本人は
「これぐらいで」といい


店長は「あいつは悪気はないんだ」とかばい


他の女子バイトは
「私たちだって我慢している」と私を責め

 

私は明らかに

空気の読めない嫌な奴という扱いを受けました。

 

 

その後も

扱いづらい奴

バイト仲間のスキンシップによるあたたかい空気を壊す奴

みんな我慢しているのに我慢しないずるい奴という扱いをうけ

 

ずっと針のむしろでした。

 

 

 

間違ったことには迎合できないというのが

私のプライドでした。

 

 

この頃

これだけ真面目に一生懸命生きても

まだ我慢を強いられるのかと世の中に絶望したものです。

 

 

 

もうひとつ。



私はおどけたりユーモアを交えて話したりと
人を笑わせることが得意でした。

 

でも何故かどうしても無理だったのが
変顔をしたり変なリアクションをとることでした。

 

 

高校生、大学生ぐらいのノリは

どれだけ体を張って笑いをとるかという部分が大きいですよね。

 


そういう時に私はフリーズしてしまうんです。

 

 

フリをされて、みんながリアクションをする。

私に回ってくる。

 

それなのに

みんなやってるからやらなきゃと思っても

どうしても恥ずかしくて体が動かない。

 

 

話す場面では

大勢の前でおどける事も自虐もできるのに

リアクションは恥ずかしくて出来ない。

 

 

そのせいでいつも


ノリが悪い
つまんない奴
空気読めない奴…という扱いをされてきました。

 

 

私自身もみんながやってる面白くことを出来ない

暗い奴だと思ってきました。

 

 


大人になり
笑いにリアクションを求められなくなって

 

明るい雰囲気や話術の方が重要になって

 

会う人会う人に

竹田さんって本当に面白いと言われるようになり

 

やっと
あぁ自分は暗い奴じゃなかったと気がついたんです。

 

 

話術では自虐でもテクニックで笑わせていると感じるのに

リアクションは自分をおとしめて馬鹿にならないといけない感じがして

私自身を丸刈り笑われる感じがして出来なかったんだと思います。

 

 

もちろん今は

リアクション芸人の人が自分をおとしめているわけじゃない

テクニックで笑わせているとわかりますが

私はリアクションで笑われる感覚がどうしても受け入れられません。

 

 

私は「やりたくないものはやりたくない」

 

これは間違っているかもしれませんが

私の譲れないものでした。

 

 


世の中はこんなプライドの高い人が疎まれやすいですよね。

 

空気が読めない

みんなやってるのに自分勝手だ

和を見出す変わり者

 

そうやって排除されてしまいますよね。

 

 


だからプライドを保っていることは大変で

みんな迎合してしまうんでしょうね。

 

 


譲れない自分を持ってプライドを保っているギフテッドの人は

 

私はそれでいいんだと思うんです。

 

 

そのプライドを保つために

自分が傷つけられない為に

 

人当たりは良くして

謙虚で明るくしている必要はあるのかもしれません。

 

そうでないと
ただ自己愛が高い人と誤解されてしまいつらい思いが増えますから。

 

 

 

だけど譲れない自分を待ってプライドを高く持ち続けてほしいんです。

 


その譲れない自分のプライドが

 

自分を強くして
自分を突き動かして

自分を高みに連れて行くんだと私は思います。

 

 

 

 

関連記事

 

 

www.lilcafe-colony.com

 

 

www.lilcafe-colony.com