私が子どもの頃からよく言われてきたのは
「縛らないで」というニュアンスの言葉。
場所が変わっても人が変わっても本当によく言われるので
「あぁ私は人を束縛する人間なんだ」と思って生きてきた。
確かに私は境界性人格障害の時に、独占欲が強くやちもち焼きで友人や恋人をひどく縛っていた時期があった。
心が子どものままで、不安が高く、自信が無ければ独占欲はどうしようもできない。
自分に言い聞かせても仕方が無かったんだと今ならわかる。
独占欲に悩んでいるなら
その前に愛着障害や人格障害などの心の病の回復に取り組むしかない。
性格の問題じゃなくて、心が育っていないことや、自信がなく出来ない事が多いせいで不安が高いせいで、一人の人に執着してしまうものだから。
事実私も心が回復するにつれて、自分の中で独占欲や焼きもちみたいなものはどんどん減っていった。
ところがそれでも何故か人から変わらずに
「縛らないで」というニュアンスの言葉や態度を示されてしまう。
「相変わらず私は独占欲のカタマリで情けない」と思ってた。
さらに心が回復していくと
人にしがみつく側だった私の方が、なぜか求められる存在へと変わっていった。
この移行期間はいつのまにかで、いつ頃どうやって?っていうのは曖昧なんだけど
多分、心の回復によって
疎まれる存在 → 好かれる存在 → 強く求められる存在
成長魚のように変わっていくことは、きっと愛着障害から回復するみんなも同じように起きることだと思う。
強く求められる存在になって
なんと自分が相手に「縛らないで」と思うように。
この言葉を言われることが半ばトラウマだった私は
人に対して言葉にして伝えていなかったけど
こう思ってしまう自分に腹が立った。
どうしてそう思うんだろう?
私はその時、実際に縛られてたんだと思う。
私の愛情深さからか、距離が近くなりすぎてしまうからか
親しくなると相手は必ず私を「独占したい」と思いはじめる。
私が他の人に愛情を与えること
他の人と楽しい時間を過ごすこと
他の人と信頼関係を築くこと
これら全てが許せないようだった。
これに対して私が「縛らないで」と思うのは正当な理由があった。
他の人に愛情を与えることで自分への愛情の分け前が減ると思うと、誰でも他には与えないでくれと思ってしまうのかもしれない。
でも私の場合
私が5人に愛情を分け与えようと共に楽しもうと絆を深めようと
その人への愛情の量は十分すぎるくらいだったし、強い絆も変わらなかった。
5人程度であれば確実にそうだったと言える。
他の人が1人にかかりきりで愛情を与えるよりも愛情が多かったんじゃないかな。
人が私を縛るのは本当にただの独占欲だったんだろうと思う。
愛情の量に不満はないのに
自分以外の人に愛情を与えないでと願うなら
それは人を縛っていることになる。
じゃあ私が人に縛ると言われてきたのは?
やっと気づいたんだけど
「私が愛情を与えた分だけ私にも愛情をちょうだいね」っていうすごく公平な感覚だった。
親子関係ではない人間関係では、お互いに与えたり与えられたりしながらバランスがとれてる。
バランスがとれないから関係が長続きしなかったり、片方だけが重たいと感じて我慢していたりする。
私に「縛らないで」と言った人達は、私の愛情だけ取っていって自分は返そうとしない人たちだった。
親子関係で私が親みたいな感じ。
いつも私に見守っていてほしい、心配していてほしい
心地よくしてほしい、優しくしてほしい・・・
だけど自分は、自分勝手に好きなことをしていたい、私のために時間や気持ちを割きたくない…
こんな人たちだった。
自分で独占欲とは違うと感じているのに「束縛しないで」と人に言われてしまう人は、ちょっと考えてみてほしい。
愛情を与えるばかりで
自分もその人にちゃんと与えてもらってる?
親のように
愛情を与えることだけに喜びを感じてしまってない?
あなたは束縛してないんじゃないかな。
本当に束縛してしまうのもつらいし
本当は束縛していないのに悪者になるのもつらい。
独占欲は少しもあっちゃいけないわけじゃないと思う。
愛していると少しは感じてしまうんじゃないかな。
でも本当に信頼し合っているなら
自分以外の人との関わりに脅威はいらない
自分以外の人との関わりによって
その人は沢山の魅力をつけていく
自分以外の人との関わりによっても
その人は保たれ支えられ、自分も助けられてる
これが理解できたとき
私は本当に人を独占したくなくなったな。
自分が与えている分だけ愛情を求めるのは
公平を求めているだけで独占欲じゃないよね。
それなのにもし「独占欲だ」といって責められるなら、離れよう。
公平じゃない関係は自分も人も不健康にしてしまうから。
自分が愛情を与えるだけきちんと与え返してくれる人と、幸せに過ごしていこうね。
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