逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

恋をすることが難しい

私の恋の話なんざ聞きたくないと思うけど・・・する。

 


私は毎日
人の話を沢山聞いている。

 

過去の話。日常の話。

 


当然、恋愛の話もある。

 

 

 

私がカウンセリングで出来る事って
心を成長させること。

 


具体的には

 


自分を肯定できる

 

自分を好きになる

 

自分を信じられる

 

自分の行動の責任を持てる・・・

 


まだまだあるけど
大まかにこんな感じ。

 

 

 

この点では役に立てるし
心の成熟度には自分も自信を持っている。

 


私は幼稚な部分があるから精神年齢が低く見られやすい。

 

心の成熟度はそれとは別と言っても難しいところ。

 

 

 

人生経験豊富なおじいさんおばあさんが
子どものようにはしゃぐこともあるし

 

何らかの権威のある人だって
子どものようにはしゃぐこともある

 


逆に
完璧に正しく落ち着いた行動をとって大人然として見える人でも
器が小さく、責任逃ればかりして、自分を肯定できない人もいる

 

 

 

こんな説明でどうだろう。

 


私は心は成熟しているけど
他に未熟なところが沢山あることを自覚している。

 

 

 

その1つは恋愛。

 


カウンセリングで心の成熟のお手伝いはできるけど

 

恋愛に関しては未だ正解が無くて

 

クライエントさんよりも私の方が未熟なんじゃないかと思う。

 

 

 

恋愛経験に関しては
自分で言うのはなんだけど豊富な方だと思う。

 

この10年はご無沙汰だから説得力はなく聞こえるけど
それまで休まず恋愛をしていた。

 

 

 

それなのに
私は恋愛のことが全然わからない。

 


いや

 

最近やっと
わからないことがわかった。

 


恥ずかしながら
それまでは経験豊富だからわかっていると思っていた。

 

 

 

それが自分を掘り下げて掘り下げて掘り下げまくったら
大変なことが発覚してしまったのだ。

 

 

 

「私は誰のことも好きではなかった」

 


おそろしい。

 

認めたくない。

 

おそろしい

 

 

 


恋をしていた時

 

夢中になって何も手につかないことも
頭の中がその人のことでいっぱいだったこともあるし
ドキドキしてご飯が喉を通らないこともあった。

 


終わりを迎える時には

 

胸がしめつけられるような思いがして
涙を流すこともあったし
狂ったようにしがみついたこともあった。

 

 

 

でも私は誰も好きでは無かった・・・

 

 

 

振り返ってみると

 


アメフト部のKちゃんも

 

サッカー部のEくんも

 

おぼっちゃまのHくんも

 

日体大のMも

 

美容師のYも

 


私のことを熱烈に愛してくれたから
私は恋をしていたのだ。

 

 

 

ドキドキして
恋をしているような気持ちになる時はいつも

 


誰かが私に焦がれる視線を見つけた時だ。

 

誰かが私を好きで仕方がないような態度を見つけた時だ。

 

 

 

誰かが好きという強い感情を持っている
その対象が自分であるということに驚き歓喜する。

 

 

 

自分には持てない
その強く好きと思える気持ちに心を揺さぶられ

 

自分を嫌悪している私、全く自身が無く無価値だと思ってきた私を
今この瞬間、その人にとって一番の価値を置いてくれたことに感嘆する

 

 

 

もっと酷いことに

 

その人の力が自分に与えられるような気がして
喜びが止まらなかったのかもしれない。

 


人気者でモテて賢くてカッコイイor美しい・・・
そんな人が私に一番の価値を置いてくれた。

 

変わり者でバカでブスで何にも出来ない私が
そんな人の価値を全部もらえて
一気に自分の価値が上がったような気がして舞い上がった。

 

 

 

ドキドキが止まらなくなる

 

頭の中がその人でいっぱいになる

 

幸せ気分でニヤニヤが止まらなくなる・・・

 


まるで恋をしている状態が完成する。

 

 

 

私が恋愛をしている感覚が得られるのは
強く求められている期間のみだ。

 


それも
無償で求められている状態でないといけない。

 


私の気持ちを無視してゴリ押ししてくる

 

こんなに好きなのにと自分の気持ちを優先する

 


そんな人からは
どんなに強く求められても、恋をしている感覚は得られない。

 

私を好きなのではなくて
自分のことが好きで自分が私を手に入れて満足することが目的だから。

 

 

 

素晴らしい誰かが
無償で強く求めてくれる期間が私にとっての恋愛。

 

となると
どうすれば長く味わえるのか。

 


そう。

 

付き合わないこと。

 


なんて酷い。
我ながら自分の酷さに震え上がる。

 

 

 

もちろん
頭で考えて戦略的にやってたのではなく無意識にやっていたこと。

 

 

 


とことん自分に自信が無かった私は

 

最初に好きだと言われても全く信じられなかった。

 


からかわれているかもしれない。

 

弄ばれてるかもしれない。

 

一瞬の気の迷いかもしれない。

 

軽い気持ちかもしれない。

 

私の完璧な外づらの良さに騙されているだけで本当の私を出したら終わる・・・

 


なんとまぁ
ものすごい疑い方だ。

 

 

 

だから

 

心のどこかで
「こんな素敵な人をふるなんてもったいない」

 

そう思いながらも一度はお断りする。

 

 

 

断っても
人間、簡単に手に入らないものの方が燃える性がある。

 

だいたいは
しばらく友達期間を続けながら強く求めてくれる。

 


この期間が私にとっては恋愛のピークだ。

 

 

 

自分のことを強く一途に思い続けてくれる人がいる

 

それだけで
毎日バラ色でその人を想うとドキドキが止まらない。

 

 

 

これが私の最高の恋愛の思い出。

 

 

 

その一途さに
私の疑いは晴れ、ほだされ付き合うと

 

相手は
相変わらず強く求めてくれるものの
求め方が変わってくる。

 

無償ではなく、当然こちらの気持ちも求められる。
付き合った安心から、必死さが無くなる。

 


それで私は一ヶ月ほどで別れたりする。

 

 

 

ところが
長く付き合うこともある。

 


7年という長い恋愛を二回も経験した。

 

 

 

それぞ大恋愛と思いきや

 

思い返してみると

 

私は相手のことなんか見ていなかった。

 

 

 

私が恋していたのは
私が頭の中で作り上げた恋人だった。

 

 

 

日々の言動を
自分が恋をし続けるために塗り替える。

 


たった一度の
頼もしい姿、優しい姿、かっこよく美しい姿を何度も回想し

 

日々の
弱々しい姿、自分勝手な姿、かっこわるくだらしない姿を消し去る。

 


私がイメージする素敵な人が私の恋人・・・

 


もうそれは
私が付き合っている恋人とは別人だ。

 

 

 

こんな激しく歪んだ恋愛観で
恋愛経験を積んできた。

 

 

 

私は誰も好きでは無かった・・・

 


もう認めざるをえない。

 

 

 

30を過ぎると
みんな大人になり
私の容姿の衰えもあり

 

強く求められ続けることも減り
すぐに答えを求められる。

 

もう私の歪んだ恋愛は出来なくなった。

 


こうして私はずっと1人でいる。

 

 

 

私は恋愛が出来ない以前に
人を好きになれないというもっと根本的な欠落がある。

 


正確には違うな。

 

人に恋することは出来ないが
人を好きになる力は誰より強い。

 


恋愛とは違う形で私に愛された人は
私の愛情深さにみな感嘆する。

 


その博愛、人類愛ゆえに
恋焦がれる方の愛が未熟なのだろうか

 

それとも
発達障害による欠落なのか

 

ただ恋い焦がれる相手に出会っていないのか・・・

 

 

 

私自身は
まだ出会っていないからだと自分に期待し続けている。

 

そうでなければやってられない。

 


恋することが難しいみなさま

 

ともに頑張りましょうね。

 

 

 

 

 

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