逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

自分らしさとは

先日久しぶりに会った友人と楽しく話していて

 

ふと自分が
少し人見知りをしていることに気づいた。

 

 


「あれ?何でだろう」と考えた。

 


私は1年会わなくても
まるで昨日会っていたかのような感覚で話せる。

 

久しぶりだからといって
私の人見知りが発動するわけではなさそうだ。

 

 


ちょっと話がずれるけど
私の特殊能力というか困った能力について聞いて欲しい。

 


私はエピソード記憶が強力すぎて
過去のさまざまな場面にタイムスリップしてしまって
まさに今それを体験しているような気分になってしまう。

 

 


25年前の高校時代のことを思い出す。

 

多くの人は
「懐かしいなぁ」なんて口にするけれど

 

その「懐かしい」という感覚が私にはあまり無いのだ。

 

 


ちょっと想像してみて欲しい。

 


もしあなたが高校を卒業して間もない
大学生だとしたら

 

高校時代を思い出したらどんな感覚がするだろうか。

 


環境がずいぶんと変わり
自分も見た目も心も大きな変化があるから
少し昔のような感じはするかもしれない。

 

でも数ヶ月前だから
記憶はだいぶ新鮮な感じで思い出せるのではないだろうか。

 

 


私の高校時代を振り返った時の感覚はそれに近い。

 


25年も経って見た目も心も大きな変化がある。
でも記憶は鮮明で新鮮だ。

 

その頃の空気や風景や物や音やそこにいる人達
友人の細かい表情や声のトーン
制服を着ている皮膚の感覚や
自分の感情や微妙な心の動き

 

ついこないだのことのようにリアルに思い出せる。

 

 


そうやっていつも
子ども時代や青春時代にタイムスリップしているせいだろうか。

 

見た目もかなり変えてきたし
心も病気から回復してずいぶんと変わってきたし
大人としての分別をやっとつけて言動もだいぶ変わってきた。

 

それなのに人からは
「あなたはいつも変わらない」と言われる。

 

 


それに引きかえ
私にとって人は
いつも別人のように変わり戸惑わされる存在だ。

 

 


誰もが変化の激しい学生時代は
それが顕著だった。

 


夏休み明けにすっかり変わってしまった友人に
どれだけ戸惑っただろうか。

 


急にオシャレになって見た目が全然違うし
何だか自信に満ちあふれちゃって
言葉遣いや振る舞いが別人。

 


夏休みに短期留学をして
沢山の経験をしてもまれて
キラキラしていて何かを乗り越えたどっしり感が出ていて
どこか手の届かない遠い人のよう。

 


スパルタな予備校に通い
すっかり受験勉強一色の考えになってしまっていて
以前のゆるりと明るい雰囲気、明るく面白い部分は陰をひそめ
勉強以外の話が出来ない真面目な人になってしまった。

 


彼氏にどっぷりハマって
彼氏以外の友人と一切会わない生活を送っていた友人。
以前のキャラクターと全く変わってしまって
彼氏好みの見た目と中身になっていて話が全然合わない。

 


こんなふうに変わってしまって
私はいつも初めましての気持ちになって戸惑って
次第に疎遠になってしまっていたのを思い出す。

 

 

 

 

人と関係が長続きしない
人への気持ちを保つことができない。

 

そんな自分を

 

性格が悪い。変人。ひとでなし。

 

そんなふうにずっと責めてきた。

 


もちろん自分に問題が無かったわけではないけど
理由があったんだと今になって気づいた。

 

 


多くの人は積み重ねた過去を流していってしまう。

 

多くの人は他者の影響を受けすぎて自分を薄めていってしまう。

 

多くの人は新しいものを取り入れると古いものを捨て去る。

 

 


どこかの誰かが言っていた
ポジティブな未来志向の言葉に照らし合わせると
これが合理的な生き方なのかもしれない。

 

 


自分を変えていくことも
他者の影響を受けることも
新しいものを取り入れることが大事なことも重々分かっている。

 

私にはADHDの傾向があるから
新しいもの好きな側面や変化を求める側面もあるから
積極的にそうしているし
人にもそうであってほしいと思っている。

 


でも何故
元あるもののほとんどを捨て去る必要があるのかが分からないのだ。

 

どちらも大切にすることだって出来るはずだ。

 

 


私がその人とずっと一緒にいたいと思うのは
その人がその人であるからだ。

 

その人は過去によって作られてきた。
その人には新しい影響を受けても変わらないその人らしさがあるはずだ。
その人には新しい習慣を取り入れながら馴染み深い習慣が残っているはずだ。

 

新しいものを取り入れながら
どんなふうに取捨選択してどんなものを残していくのか。

 

その変わらない部分が
その人にしかない部分で
その人の代わりはいないと思う部分で

 

私がその人を求める理由だ。

 

 


新しいものを取り入れずに古いものに固執する人は
生まれつきのままに近いから、与えられたまま自分の力を加えないから
その人らしいとも言えるかもしれないけれど

 

私にはその人らしさが感じられない。

 

その人の力が加えられていないから。

 


新しいものをどんどん取り入れて古いものを捨て去る人は
自分で取り入れているから
その人らしいとも言えるかも知れないけれど

 

私にはその人らしさが感じられない。

 

取捨選択せずに新しいものを取り入れることに
その人の力は感じられないし
積み重ねたものがないとしたらその新しいものを取り入れた姿は
多くの人と同じ姿になってしまうから。

 

 


自分らしさって何だってよく言われているけど

 

私が思う自分らしさは

 

積み重ねた過去と
新しいものを取り入れて、古いものを残し取捨選択を繰り返して出来た今
思い描く未来のために新しい何かを選択して欲する今

 

この全てが揃って自分らしさになるんだと思っている。

 

 


私が人間関係が続くのは
その人らしく生きている人とだけ。

 

私が頑張らなくても、その人で無ければと思えるから。

 

 

 

 

 

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