逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

自叙伝9 恐がりな私

ADHDの症状が出ている時の私は

 

おしゃべりで
明るく元気で
積極的に人と関わり
大胆で勇気がある行動をとる

 

人には
この時の印象が強く残る。

 

人が私に持つ印象で自己イメージを作ってきたから
私自身もADHDの症状が出ている私が私だと思っていた。

 


私は長い間

 

自分のことを「何にも怖くない強い人間」と思おうとしてきたと思う。

 


目立つことが好きだったし
何でも一番最初にやることが好きだったし
やりたいことをやるためなら死んでもいいという気持ちになっていたし
人を守るためなら何でもできるような気持ちになっていた。

 


この大胆で勇気がある自分は恐がりなはずがない

 

何となくそう思っていたのかもしれない。

 

よくよく考えてみると
それはそれ、これはこれだ。

 


ある場面で大胆で勇気のある行動を取ることができる人間だから
何も恐れない人間だ
なんて乱暴な論理だ。

 


あぁこれに早く気づきたかった。

 

どれだけ長い間
強くあろうとしてきたか
弱い自分を責めて忌み嫌ってきたか。

 

馬鹿だったなぁ。

 


すごく恐がりだけど
特定の場面でのみ大胆で勇気のある行動がとれる

 

これが私だ。

 

 

 


小さい頃を振り返ってみると
どの場面でもつねに

 

「怖い」という気持ちが漂っていた。

 


大人になった今も感受性が高く生きづらい。

 

40年も生きてきたから
怖いことだらけの世界でも
小さい頃よりはだいぶ上手に生きられるようになったと思う。

 


怖いことも慣れてしまうことがある。

 

心理学の用語で言えば
エクスポージャーみたいなもので
何度も脅威に晒され続けて恐怖が薄れた部分がある。

 


自分の心を守るために
怖いことをそのまま感じないように
多少は鈍感になった分だけ楽になったのかもしれない。

 


あとは
知識が増えたことでだいぶ楽になった部分がある。

 

何にも知らないで生きている子ども時代は
暗闇の中を手探りで進むようなものだ。

 

世の中の仕組みが見えてきたり
だいたい何が起きるのか知っていることで
心の準備をしやすくなったりした。

 


小さい頃に比べれば格段に楽になったと思う。

 


楽になった今だからやっと
自分は怖かったんだと感じられるようになった。
それを言葉に出来るようになって分かったのが
小さい頃の自分の異常な恐怖心だ。

 

 

 

友人と小さい頃の思い出話をする場面では

 

どう興味を持って聞いてもらおうとか
どう笑いをとろうとか考えて話をしていた。
だから感情をこめて深刻になんて話をしなかった。

 

自分の体験を面白おかしく話していると
恐がりの程度も
そんなに人と変わらないように思えてきて
こんなもんだろうと思っていた。

 


冷静になって
小さい頃の本当の自分の気持ちを思い返してみると

 

小さい頃の世界は
私にとっては毎日がホラー映画の中にいるようだった。

 

大げさだと捉えられるかもしれないが
小さい頃の私には
本当に毎日が恐怖の連続だったのだ。

 

 

 

多分なんでもない日常だったのに
まるでホラー映画の中に一人放り込まれたようだった。

 


あの暗い映像とぞくぞくする音楽がかかっているような
ずっと漂う不安感

 

いつも誰かに見られているような
キリキリと張り詰めた音楽がかかっているような
息をつかせない緊張感

 

何かが起きそうな画面の切り替えと
何度も驚かされる効果音に
次にまたどんな衝撃的なことが起こるかという恐怖。

 

こんな感覚だ。

 

 

 

具体的に何が怖かったんだろう。

 

 

 

暗闇はとにかく怖かった。

 


子どもならみんなそうなのかもしれない。
私の恐さは尋常ではなかった。

 


夕方になると暗闇を想像してそわそわしだす。
暗くなると思うだけで怖くて仕方がない。

 

毎日寝るときに電気を消された瞬間にショックを受ける。
毎日のことなのに慣れない。
ドキドキが止まらない。

 

眠れない時間に一人きりで起きている暗闇が怖い。
暗闇と静寂に飲み込まれてしまうような感覚。
暗闇の中に何かがひそんでいるような恐怖。
たった1人で耐える時間は永遠に感じるほど長かった。

 


ちょっと暗い時間に外にいて
街灯がない道を通らなければいけないときは
人が一緒でも怖がって通るのを嫌がって激しく抵抗して号泣していた。

 


この怖いという感覚を小さく捉えられたくないけれど
表現が上手くできない。

 

さっきと同じだが
ホラー映画で
幽霊屋敷に暗闇に一人でいる場面のような緊迫感に近い。
つねにこちらからは見えない化け物に見張られているようで
いつなんどき、襲ってくるか分からない恐怖。

 

こんな恐怖を子どもが一人で抱えるのだから
それはすごいストレスにもなる。

 

 

 

犬が怖かった。

 

今話すと笑い話になってしまうが
その当時の私にとっては笑い話ではない。

 


外側から見れば
子どもが犬を怖がっている姿は
可愛く微笑ましく映ると思う。

 

でも私にとっては
大きな野生のライオンが目の前にいるぐらいの恐怖だったのだ。

 


目の前に大きな野生のライオンが居たら笑えるだろうか。
噛みつかれたら死ぬんじゃないかと恐怖しないだろうか。
何とかして逃げなければと必死になるんじゃないだろうか。

 

小さい頃の私にとってはそれぐらいの恐怖だった。

 


だから必死の形相で逃げるし
おかしいんじゃないかというぐらい激しく泣く。

 

これが理解されるわけがないので
私の恐怖は必ず人に馬鹿にされ笑われることになる。
本当に恥ずかしく悔しく情けなかった。

 

 

 

踏切が怖くて渡れなかった。
電車の連結部分が怖くて通れなかった。
電車とホームの隙間が怖くて降りられなかった。

 

これも大人はただ馬鹿にして笑うだけだった。

 


でも私にとっては
目の前に
ギザギザのついた足を挟む罠が仕掛けられているような
雪山のクレバスがあるような
とてつもない恐怖があったのだ。

 


だから
他の子どものように少し怯えるような仕草ではない。

 

必死に抵抗して動かない。
この世の終わりのように号泣する。

 


今なら分かる。
これが大人たちにとっては
それはそれは面倒で不快なことだったんだろう。

 

時間をとられるし
他の人の目があるし
罪悪感を持たされるんだから。

 


私の養父ももちろん例外では無く
馬鹿にしてさげすみながら笑ったり
叱られたり叩かれたり
腕が抜けるほど引っ張られたりした。

 

 

 

人がリラックスして目の前のことを楽しんでいるときに
いつも自分だけが
こんなふうに異常な恐怖に襲われている。
誰にも理解されず誰にも話すことができない。
ただ笑われ馬鹿にされる。

 

情けない、恥ずかしい、そんな思いがいつもあった。

 

 

 

こんな何でもない日常の恐怖だけではない。
養父母との生活での恐怖もあった。

 


養父は予想もつかないタイミングで怒鳴り出す。
なにが地雷か全く分からない。

 

キレるといつまでも怒鳴ることをやめない。

 

少しも自分の感情を抑えようとせず
関係の無い怒りの感情ものせながら怒る姿は
狂気だった。
言葉にならない恐怖。

 

大人になっても怖いのに
子どもの頃はどれだけ怖かったろうと思う。

 


箸の使い方がなっていないとか
自分の話を聞いていなかったとか
顔が気にくわないとかで
予測もつかないタイミングでビンタをされる。

 

後ろにふっとぶくらいだ。

 

予測がついていたとしても怖いはずだ。

 

ただ美味しいとご飯を食べていた。
ただテレビが面白いと見ていた。
そんな時にいきなり激しくビンタされる衝撃は
まるでいきなり車にはね飛ばされるような衝撃だったんじゃないかと思う。

 


この頃は食事の味はほとんどしなかったし
食事の時間は
養父の言葉を一言一句聞き漏らさないよう
養父の機嫌を損ねない表情や振る舞いをするよう
張り詰めていた。

 

切ないけれど
これが人の話を必死に聴いて覚えている
私のルーツだ。

 

 

 


養父母は激しい夫婦喧嘩をする。

 

養父が養母に手を上げる。
養母が鼻血をだす。
血が流れる光景はショッキングだった。

 

養父が養母を追いかけ回す。
トイレに立てこもる。
トイレの扉を壊すほど扉を蹴る。

 

養母が包丁をもって養父に対抗する。
料理中、ほんの少し指を切っただけで血が流れる包丁。
包丁はとても怖いものだった。
その包丁を人に向ける、振り回すなんて
とてつもない恐怖だった。
実際使わなかったのは不幸中の幸いだ。

 

 

 


ほとんど24時間こんなストレスに晒されていたと思う。

 


24時間というのは決して大げさではない。
子どもの頃からずっと睡眠に問題を抱えていた。

 


頻繁に悪夢を見て大声をあげて起きていた。

 

悪夢を見て起きてホッとした記憶はない。
言葉には出来ていなかったが
落下して死んでしまわなかった
殺されて死んでしまわなかったことに落胆した記憶がある。

 

現実も途方も無い恐怖だった時期は
目が覚めた後にまたあの現実が続くのかと泣いた記憶がある。

 


そういえば
小学生の頃、創作マンガを書いていた。
題名は「夢のまた夢」

 

夢から覚めて現実だと思って生活をしていても
それがまた夢の中。
覚めても覚めても繰り返し恐怖の連続。
みたいなお話。

 

よくある話かも知れないが
本や映画などでそういうストーリーに出会う前で
なんにも知らないところから考えていたので
私は天才!なんて思っていたけれど
ただ悪夢から覚めても悲惨な現実の思いを書いていたのかもしれない。

 


想像力や感受性が豊かな私の悪夢は
細部まで怖かった。

 

養父は映画が好きで
中でもやたらとホラー映画が好きだった。

 

養父とは常に一緒にいなければいけなかったので
見たくないのに見なければいけなかった。

 

小学校低学年で
「エクソシスト」
「オーメン」
「ポルターガイスト」などだ。

 

恐がりじゃなくたって怖い。

 


これがリアルな悪夢の材料になっていたんだと思う。

 


多くの人が見る夢もリアルだった。

 

落下する夢。
足下の崩れ落ちる瞬間の腰が抜けるような感覚や踏ん張る感覚
見下ろした下の光景
落下しているときの風

 


追いかけられる夢。
追いかけられるときの人々の狂気の表情
地の果てまでも追いかけてくる執拗さ
どこに隠れても感じる視線。小さな穴から覗く目。
廃墟のニオイや血のニオイ。

 


他にも
ここにはとても書けないグロテスクな夢を
小学生で見ていた。

 

 

 


悪夢を見るだけではなく
私には激しい夢遊病があった。

 

起き上がってフラフラと歩き回る。
歩き回りながら何かを話しているのだが
本人には意識がない。

 

養父にビンタをされてやっと目を覚めたときには
ほっぺたはじんじんと痛かった。
どれだけ叩かれたんだろうか。

 

翌日は必ず養父に
「こいつ馬鹿だよなぁ」
「お前どっかおかしいんじゃないか」
とゲラゲラと笑われていた。

 

 

 


私には小学校2年生ぐらいまで夜尿症があった。
かっこをつけて言っているがおもらしだ。

 

これでどんなに恥ずかしい思いをしたか。
これはずっと私の自尊心を傷つけることだった。

 

おもらしをするたびに
布団たたきでミミズ腫れになるまで叩かれたが
治らなかった。

 

養父に
「恥ずかしくないのか」
「猫や犬と一緒じゃねぇか」と馬鹿にされても
何にも言えずただ泣くしかなかった。

 

 

 

心理学の勉強をして初めてしったのは
悪夢も夢遊病も夜尿症も
ストレスからくる心の病のようなものだということ。

 

小さい頃の私の心は
どれだけ悲鳴をあげていたんだろうと思う。